【野球】元阪神・平野恵一氏 台湾プロ野球で手腕を評価された理由 侍JAPANが与えた影響 仰木彬氏流の洞察力で日本野球の良さ伝える

 (左から)楽天モンキーズ・古久保健二氏、中信兄弟・平野恵一氏、楽天・真喜志康永氏、楽天モンキーズ・川岸強氏(本人提供)
 台湾プロ野球・中信兄弟の監督に就任した平野恵一氏
 2012年4月のヤクルト戦、平野は一塁にヘッドスライディングし内野安打とする
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 取材現場の舞台裏を描く新企画「スポットライトの裏側」。今回は現役時代に阪神、オリックスで活躍した平野恵一氏(44)に迫る。24年シーズンから台湾プロ野球「中信兄弟」の監督に就任。異国の地で、その手腕が評価された理由とは。WBC優勝で世界的に高まる日本野球の価値、ここでも背景に米大リーグ・ドジャースの大谷翔平投手(29)の存在もあった。

  ◇  ◇

 海を渡って間もないころだった。初めて暮らす異国の地。言葉は当然話せない。街中で困っていた平野氏に、すぐに救いの手があった。「台湾で、台湾の人が日本語で助けてくれる。本当に感動した。野球で恩返ししないとと、思った出来事でしたね」。それから数カ月、思いもよらぬオファーが舞い込んだ。

 「今、監督に一番ふさわしい人はあなただ。国籍が違っても、仕事は変わらない。球団にあなたが必要です」

 昨年12月、球団幹部から就任要請を受けた。驚きはあったが、すぐに恩返しの思いが心を占めた。「推薦してくれた人の気持ちを、裏切っちゃいけないと」。前監督で、親交の深い林威助氏にも相談した。「恵一、頑張れ。チームを頼むぞ」-。球団の熱意が心に響き、熱い言葉にも背中を押された。楽天モンキーズの古久保健二氏に続き、2人目の日本人監督が誕生した。

 昨年、シーズン途中から「発展ディレクター」に就任。チームの改善点を多角的な視点からレポートにした。球団は実直な仕事と熱心な指導、国籍を問わないコミュニケーション力も評価。一方、世界で高まる日本野球の価値が、大きな支えになっていた。特に昨年3月のWBC。世界が憧れる大谷翔平やダルビッシュ有ら、野球日本代表「侍JAPAN」の活躍が与えた影響は計り知れないという。

 「肌感覚ですが、選手を指導する中で、日本代表との共通点を見つけてくれるようになった。あの時の世界一は、ただ勝っただけじゃない。世界で頑張る日本人のためにもなった。感謝しています」

 台湾で戦う理由は、まだある。今年の1月1日、能登半島地震が起きた。「台湾の人は心を痛め、すぐに募金や援助をしてくれていた」。2011年3月11日、東日本大震災でもそうだった。阪神に在籍していた同年5月、交流戦で空路、仙台に移動した。半壊の空港は仮設。機内から見た街の景色に声をなくした。オリックス在籍時から身近で、親戚や知人、友人も多く暮らしていた街。震災の翌日、台湾から200億円の義援金、400トンの援助物資が届いていたと知ったのは、数年後のことだ。

 「世界のどこよりも早く救助隊も派遣してくださった。日本人は感謝の気持ちを忘れてはいけない。ずっと、いつか恩返しをしたいと思っていたんです」

 現役時代から元ロッテ監督の井口資仁氏、元阪神、ロッテの鳥谷敬氏、ソフトバンクの柳田悠岐外野手らと、毎年のように台湾で野球教室を開催。2022年のコーチ就任以降、在日台湾人のコミュニティーを中心に後援会が発足するなど、たくさんの支えも背中を強く後押ししている。

 「野球だけじゃないんですよ。日台のために頼むぞ、ありがとうって。架け橋にならないといけない。パワーを感じるんですよね。1人じゃない。背負うものがあります」。縁を大切にしたい。感謝、恩返し。ここにも海を渡る理由があった。

 初の監督業。「自分らしく」を貫く中で、恩師の存在も心にある。オリックス在籍時の監督、仰木彬氏には洞察力の大切さを学んだ。「何がすごいかって選手一人一人を見ていた。常に選手が一番輝く方法を探していました」。コーチ時代から選手には「オレが一番、おまえを見ている」と伝え、実践した。「阪神の岡田(彰布)監督や、オリックスの中嶋(聡)監督もそう。先を見据える指導。すごく参考にしています」と伝統でつなぐ日本野球の良さも伝える。

 現役時代、ヘッドスライディングを代名詞に、小柄な体で夢や希望を届けた。監督として理想像がある。「僕は試合でガッツポーズができなかった。集中力や敬意が理由で、ヘッドスライディングは僕なりのアンサーでした。先発投手だって投げない日でもプロ野球選手。ファンあってのプロ野球ですから、応援してもらえるチームにしたい」。日本野球に追いつけ、追い越せーと、観客の胸焦がす熱き戦いを心に誓う。(デイリースポーツ・元阪神担当・田中政行)

 ◆平野 恵一(ひらの・けいいち)1979年4月7日生まれ、44歳。神奈川県出身。桐蔭学園から東海大を経て、2001年度ドラフト自由枠でオリックス入団。02年7月19日・ダイエー戦(福岡ドーム)でプロ初出場。08年阪神移籍。12年にFAでオリックス復帰。プロ通算1184安打。ベストナイン、ゴールデングラブ賞各2回(いずれも10~11年)。15年に引退後は阪神のコーチなどを務めた。

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