【野球】なぜ元ソフトバンク守護神の馬原氏はトレーナーの道を選んだのか 3年間夜間学校に通学、三つの国家資格取得 阪神・岩貞ら指導
取材現場の裏側を描く新企画「スポットライトの裏側」。主にソフトバンクで守護神として君臨した馬原孝浩さん(42)は現在、阪神・岩貞、伊藤将らの自主トレで指導を行うなど、トレーナーとして奮闘している。現役時代に通算182セーブを挙げ、第一線で活躍。一方でけがにも苦しんだ経験から、引退後に転身した。その苦労の道のりや思い、第二の人生を過ごす今に迫った。
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馬原さんは2003年、ダイエーに入団し、ソフトバンク時代にはセーブ王を獲得。オリックスでもプレーし、WBCでも2度、世界一に貢献した。ただ、第一線で活躍したプロ野球生活12年間だった一方で、けがに悩むことも多かった。
08年には開幕直前に右肩の炎症を発症し長期離脱。12年、手術に踏み切った。セルフケアだけでは追いつかなくなり、「良い」と言われる治療を求めて走り回った。「ワンコインから何十万円するようなケアまで受けて、その答え合わせをマウンドでやっていました。これはうそっぱちだなっていうのがほとんどでした」。自分の体を“実験台”とし、本当にいいものだけを選んで、組み合わせていった。
自身も知識を増やし、パーソナルトレーナーにケアの仕方をレクチャー。14年にはそのケアが大成功し、自己最多の55試合に登板した。「現役時代、選手としてある程度の実績もあって、体の知識もしっかりした人がいればと思っていました」と馬原さん。「だったら自分がなろう」と15年の引退後はトレーナーの道に進むことを決断した。
説得力を持たせるためにも柔道整復師、はり師、きゅう師の国家資格取得を目指し、16年に九州医療スポーツ専門学校に入学。引退後はコーチやメディアの仕事依頼もあったが、「全く魅力を感じなかった」と話す。他人が通らない道に魅力を感じた。「学生になることに光が見えて。『すごいかっこいいな』と」。将来を考えた時、手に職がない状態を不安に思い、周りには止められたが、「セカンドキャリアは1年でも棒にふるわけにはいかない」と即行動した。
ただ、入学してからは想像を絶するような苦労の日々だった。夜間の週3日コースで3年間通学。朝からトレーナーとして選手のサポートを行った後、午後4時に自宅を出発し、学校のある小倉まで車で片道約2時間。午後6時から9時半まで授業を受け、11時過ぎに帰宅する生活だった。分刻みのスケジュールだったため、レコーダーに勉強内容を吹き込み、通学の車の中で聞きながら必死に覚えた。家の中にもあちこちに張り紙をし、頭にたたき込んだ。
三つの国家資格取得には6年間通うか、試験を1年ずつずらすのが一般的だといい、「先生たちにも誰ひとり受かると思われてなかった」と馬原さんは笑って振り返る。「食べる暇もなかった。死ぬ思いだった」。体重も3年間で15キロ減少。それでも「わくわくしかなかった」という。文化祭では実行委員長も務め、ジュースや輪投げの出店もやった。18歳から70歳までいるクラスで学生生活も楽しんだ。
猛勉強を続け、成績は常に上位をキープ。5、6割の合格率だという卒業試験に合格し、国家試験にも合格。無謀だと思われた挑戦をやり遂げ、三つの国家資格を手に入れた。選手としての感覚に理論や知識が加わり、講演会や討論会なども増えて世界も広がった。トレーナーとして「肩に関しては特に自信がある」という馬原さんの元には、中堅やベテラン選手が来ることも多い。中日・岩嵜やヤクルト・嘉弥真も担当してきた。
21年のオフに初めて訪れた岩貞も左肩がひどい状態だったが、馬原さんのケアで復活。「他のトレーナーと比にならないというか唯一無二。全く体の調子が違うし、受けたらみんなびびる」とそのすごさを明かす。馬原さんは自身のことを「再生工場」と表現し、「困った時の最終手段になれれば」と話した。
馬原さんの指導は、ウエートトレーニングとケアのバランスがポイント。ダンベルでいえば、5キロでスタートした選手が、最終的には20キロ近くを持ち上げるようになるほど高負荷をかけていくが、それを追い越す質のいいケアを行うという。ケアにこだわっているからこそ、しっかり負荷をかけたトレーニングも可能。出力にもつながり、岩貞はプロ9年目、30歳を超えた22年に、自己最速となる154キロをマークした。
現役時代の経験から切り開いた第二の人生。「選手がいい球を投げるようになったり、球速が上がったり活躍したり。自分が現役じゃないので、間接的にそこに関わっていると感じた時にやりがいを実感します」と馬原さんは充実感をにじませた。昨季は阪神がリーグ優勝、日本一に輝いた。「岩貞が投げる時は緊張しながら見てました。優勝の輪にいるのがうれしかった」と喜びもひとしおだ。
昨年には整骨院も2店舗オープン。「現役の時に応援していただいた人に元気になってもらいたい」と一般人のケアも行う。同時にトレーナーも育成中で「背中で引っ張っていくような経営者になりたい」と話した。「整骨院も全国展開しながら、鍼灸(しんきゅう)の学校も作って、野球チーム作って…」。まだまだ野望は尽きない。これからも新たな舞台で輝いていく。(デイリースポーツ・山村菜々子)
◆馬原 孝浩(まはら・たかひろ)1981年12月8日生まれ、42歳。熊本県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。熊本市立(現必由館)から九州共立大を経て、2003年度ドラフト自由枠でダイエー(現ソフトバンク)入団。13年、寺原隼人のFA移籍に伴う人的補償でオリックスへ。15年限りで引退し、柔道整復師、鍼灸(しんきゅう)師の資格を取得。通算成績385試合23勝31敗182セーブ、防御率2・83。最多セーブ(07年)。06、09年WBC日本代表。