【ファイト】格闘家・佐々木憂流迦がプロレスを志したワケ フル参戦続ける目標語る「出るだけで納得させられるレスラーに」

 杉浦貴(右)とタッグリーグに参戦中の佐々木憂流迦(プロレスリング・ノア提供)
 笑顔で取材に応える佐々木憂流迦
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 世界最大の総合格闘技(MMA)団体である米UFC、国内最大手のRIZINで計10年にわたって活躍した佐々木憂流迦(うるか、34)が1月2日、20キロ以上も増量する肉体改造を経てプロレスラーとしてデビューした。MMAのメジャーリーガーは、なぜ今プロレスのリングを選択したのか。そこには2人のスーパースターの存在があった。

 小学生の頃は新日本プロレスのファンだった佐々木だが、PRIDEやK-1による格闘技ブームの洗礼を受け、MMAを志向するようになる。2010年にプロデビューすると華麗な寝技で注目を集め、14年からUFCに参戦。ランキング入りしたり、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを2度獲得したりと活躍し、18年からはRIZINにレギュラー参戦した。MMAを「40(歳)くらいまでやるんだろうなっていう人生設計をしていた」が、転機が訪れた。ノアを運営するサイバーファイトの武田有弘取締役との出会いだ。

 「そこからちょいちょい(ノアを)見に行くようになったんですよ。改めて見て、ああやっぱプロレス面白いなって」。その後、昨年1月1日にグレート・ムタと中邑真輔(WWE)がノアで一騎打ちを行った。ムタは少年時代にファンだった武藤敬司の化身で、和術慧舟会の先輩でもある中邑とは「20(代)前半からお会いしてるんで。(UFC時代)ニューヨークに住んでいた時も飯連れてってもらったり」と親交があった。

 「その試合を見て衝撃を食らって、これやりてえなって思ったんですよ。そっからもうガラガラッと変わりましたね。生きてきて初だったんですよ、人生設計がブッ壊されたのは」。人生が一変した瞬間だった。

 MMAの実績はあっても、プロレスラーとしては肉体も技術も発展途上だ。肉体面でいえば、RIZINのラストマッチを昨年5月に行った際の契約体重は66キロ。試合を終えて肉体改造とプロレスの練習に入り、デビュー時の体重は90キロ弱に増えていた。佐々木は「まだ筋量的に全然足りない。(適正体重は)100ぐらいじゃないですか」と考えている。

 技術面も「戸惑ったことしかない」という。

 「今でもずーっと悩んでます。格闘っていうジャンルは一緒なんだけど全てが違う。今までやっていた格闘技のルーティンが1から10まで違いますから。戦うことしか共通点ないんじゃないか、くらい。プロレスって相当に難しい。受け身、ロープワークもそうだし、タッグマッチもむちゃくちゃ難しくて。ノアは(選手の)一個一個の技の完成度というか、きれいさみたいなところがすごいから、思い知らされてますね。一個とっても自分ちょっとしょっぱいなと思うことが多いんで、悩む一つの要因です」

 それでも、他競技から転向した大物にありがちな限定出場ではなく「腹決めてやってるんで。月一で出るとかになると、結局強くなんないじゃないですか、レスラーとして。やる以上、バキバキに強くなんないと意味ないんで」と、フル参戦を続けている。

 現在は杉浦と組んでタッグリーグ戦「Victory Challenge Tag League」に出場している。リングでは「衝動に従って生きてきたので、捉われないで生きている様、自由な感じを表現したい」という佐々木。今後の目標を聞くと「直近の目標はタッグリーグで優勝することと、ノアの中でしっかりした存在感を放つこと。長期的に見た完成形は、出るだけで納得させられるレスラーになることですね」と答え、「だからたくさん悩んどきます」と笑った。(デイリースポーツ・藤澤浩之)

 ◆佐々木憂流迦(ささき・うるか)1989年10月7日、静岡県沼津市出身。リングネームの憂流迦はサンスクリット語で天狗の意。全国高校生グレコローマン選手権ベスト16。2010年、プロ総合格闘技デビューした。13年、修斗環太平洋フェザー級王者。14年、UFCと契約。フライ級ランカーとなり、パフォーマンス・オブ・ザ・ナイト2度獲得など活躍。18年大みそかから23年までRIZIN参戦。今年1月2日、杉浦貴戦でプロレスデビューした。

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