【相撲】史上初の親子三代優勝なるか 祖父に元横綱大鵬、父に元関脇貴闘力を持つ王鵬にかかる偉業への期待
史上初の親子三代優勝なるか。自己最高位の東前頭3枚目で大相撲春場所(10日初日・エディオンアリーナ大阪)に臨む王鵬(佐渡ケ嶽)に、史上初偉業の可能性がかかる。
春場所初日を控え、横綱照ノ富士(伊勢ケ浜)を始め各力士とも稽古を重ねている。新大関の琴ノ若(佐渡ケ嶽)、2場所ぶり3度目の優勝を狙う大関霧島(陸奥)も好調な仕上がりを伝えられているが、注目力士のひとりが祖父に32回の優勝回数を誇る昭和の大横綱大鵬を持つ王鵬だ。偉大なる祖父だけではない。実父である元関脇貴闘力も幕内優勝経験のある力士だった。
かつて春場所は「荒れる春場所」と呼ばれていた。中でも私が現地で取材していた20世紀最後、2000年の春場所は波乱の結末を迎えた場所だった。なぜなら東前頭14枚目の貴闘力が13勝2敗の好成績で初優勝を飾ったからだ。これは年6場所制になった1958年以降初の幕尻優勝。さらに平幕優勝は1場所が15日制になって延べ17人目だが、新入幕から58場所目のスロー初優勝は当時の史上1位、32歳6カ月での初優勝も史上6番目という高年齢という記録的ずくめの優勝だった。
当時、早朝からどこかの部屋の朝稽古を取材した後、本場所の会場に向かっていた。場所の序盤は、有力力士がいる部屋を自分なりにピックアップして回っており貴闘力にいた二子山部屋を訪れたのは、2日に1度か3日に1度程度だった。ところが、貴闘力が勝ち星を重ねるにつれて二子山部屋に日参するしかなくなったと記憶している。
寡黙な力士だったが、連日関係者も含めた取材でさまざまなことが分かってきた。当然、幕内優勝は子どものころからの夢だったが、力士になるまでは紆余(うよ)曲折があった。兵庫県で暮らしていた小学6年生のときに初代貴ノ花(故人)が師匠を務めていた藤島部屋に入門を志願したが、断られた。それでも諦めずに、父親の仕事の都合で福岡に引っ越してからも何度も上京し入門を志願し続けたという。
福岡・花畑中学に入学すると同時に柔道部に入部。3年生のとき大将として全国大会の団体戦に出場し、準決勝進出に貢献。バルセロナ五輪の金メダリストの故古賀稔彦氏には敗れたが、その実績を引っさげて、やっと入門を許された経緯があった。
関脇雅山(現二子山親方)を破り優勝が決めた瞬間は涙をこらえていた。だが、土俵を下りるやあの無愛想な貴闘力が溢(あふ)れんばかりの涙を流し、号泣した姿は今も忘れられない。無理もない。場所前は持病の高血圧に加え、痛風にも苦しみけいこ場では幕下にもコロコロ負けていたからだ。幕尻だっただけに、負け越せばもちろん十両に陥落する。現役引退もちらつく立場、崖っぷちでの優勝だった。
親子三代三役は、祖父に横綱琴桜、父に元関脇琴の若(現佐渡ケ嶽親方)を持つ、埼玉栄高の2年先輩の新大関琴ノ若に先を越された。だが、角界で親子三代優勝の可能性があるのは後にも先にも王鵬しかいない。
初場所は10勝5敗の好成績を残し、今場所も好調が伝えられている。2000年2月14日生まれの王鵬には祖父や父親の優勝の記憶はないだろうが、間違いなく相撲DNAは受け継がれているはず。期待は大きい。(デイリースポーツ・今野良彦)