【スポーツ】早田ひな 五輪女王初撃破した「気持ち悪い卓球」にヒントあった 大波乱の中国-インド戦から得たリアリズム 世界卓球団体戦

 2月に行われた卓球の世界選手権団体戦で、女子日本代表は5大会連続の銀メダルとなったが、決勝は絶対王者の中国をあと一歩まで追い詰め、2-3と肉薄した。エースとしてフル回転した早田ひな(23)=日本生命=は、東京五輪金メダリストの陳夢(中国)から殊勲の初勝利。帰国会見で「気持ち悪い卓球だった」と表現した攻略法のヒントは、試合直前のひらめきにあった。

 パリ五輪の前哨戦ともいえる大一番で、日本女子の現エースがまた一つ殻を破った。決勝の第2試合、過去0勝7敗だった五輪女王の陳夢に3-1で殊勲の初白星を挙げた。持ち前の攻撃的な卓球や、相手の土壌であるラリーでも互角以上に応戦して優位に立ったが、早田自身は「気持ち悪い卓球」と表現した。

 早田といえば力強いドライブを中心にした攻撃的な卓球が持ち味。いわば王道卓球だが、中国の専売特許でもある。早田は「中国でも何万人がやっている普通の卓球をやっても勝てない」と腹をくくり、本来の卓球ではなく相手が嫌がるような意表を突くプレーを徹底した。五輪女王を攻略した変則プレーのヒントは大会初日にあった。

 中国の初戦となったインド戦。インドは世界ランク155位のムカルジーが同1位の孫穎莎から大金星を奪うなど2-3と大健闘した。不慣れな異質ラバーを使うインド勢の変則プレーに中国勢が対応しきれなかったからだったが、歴史的番狂わせになりかけた一戦は世界に衝撃を与えた。

 早田は夜の試合に備えて当時寝ていたものの、起きたら孫穎莎が負けていたため「えっ!!」と驚き、ライブ中継をかじりついて見たという。「対策できてなかったら、どんなに強い選手でも倒せることがあるんだな」-。大きな手がかりを得たが、決勝を前に「そういう卓球もありだな」とひらめき、実行に移した。

 高さ、コース、球種、緩急とさまざまな引き出しを駆使し、相手から丸裸にされている正攻法ではなく、常に意表を突くプレーを徹底した。「(相手から見て)私だったら出さないよねって思うようなボールを出していくことで、相手が一瞬ひるむ」。極限のラリーの中で自分の優位なペースに持ち込み、相手のミスを誘った。気持ちよく打ち勝つ卓球ではなく、自己満足度は低かろうと、点を奪ってしまえば同じ1点。「それをやらないと勝てないならやるしかない。いろんな意味で“気持ち悪い卓球”だった」。そこには勝負に徹するリアリズムがあった。

 それでも第4試合で対戦した世界1位の孫穎莎からは1ゲームも奪えず完敗した。「本当のエース対決になったときに力不足を感じた。真っ向勝負をして、今は(勝つ)可能性がゼロ」と絶望感にも近い現在地を明かした。五輪女王攻略は果たしたが、断トツで世界ランク1位を突っ走る宿敵について「(他の中国勢とも)比べものにならないくらい全然違う。ボールの軌道、(ラケットでの)捕らえ方、メンタルもケタが違う」と断言。「今の中国は孫穎莎選手ほぼ1人で成り立っている。そこを倒さないと中国自体が揺るがない。そこにどう亀裂を入れていくかが大事」と、ターゲットを明確にした。

 今夏のパリ五輪へは今回の「気持ち悪い卓球」も手札に加えながら、あくまで正攻法で金メダルを狙う。深夜まで及んだ決勝の後は翌朝6時にホテルに帰って就寝し、昼に起床後はオフ返上で現地にて練習したという。帰国後はスポンサーあいさつなどで十分な練習時間が取れないからだったが、「やることが多すぎて休んでいる暇がない」と、さらなる高みを見据える姿には驚かされた。打倒中国の夢を託されたエース左腕はたくましかった。(デイリースポーツ・藤川資野)

 ◆早田ひな(はやた・ひな)2000年7月7日、北九州市出身。4歳から地元の石田卓球クラブでラケットを握った。幼少期から頭角を現し、小学5年の全国大会で優勝。16年12月の世界ジュニア選手権団体戦では同い年の伊藤美誠、平野美宇らと中国を破って優勝した。全日本選手権は20年大会でシングルス初制覇し、23年大会は3冠を達成。24年大会もシングルスで2連覇した。世界ランク5位。左ドライブ型。166センチ。

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