【スポーツ】吉江豊さん、突然の死から2カ月…妻、兄が今、思うこととは
プロレスラーの吉江豊さんが今年3月10日、50歳の若さで急逝した。全日本プロレスの高崎大会に出場した直後に体調が急変し、帰らぬ人となった。身長180センチ、体重160キロの巨体を生かしたユーモラスかつ説得力満点のファイトで、日本マット界に欠かせない名選手だった。
2カ月半がたった今月24日、藤波辰爾が主宰するドラディションの後楽園ホール大会で、吉江さんの追悼セレモニーとメモリアルマッチが行われた。吉江さんは新日本プロレス、無我ワールドプロレスリング、ドラディションと、藤波と長く行動をともにしており、2009年からはフリーになっていた。
セレモニーに参列し、試合をリングサイドで見守った妻の美奈さんと兄でタレントのよしえつねおさんに、現在の心境を聞いた。
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リングで藤波からパネルを贈られ、テンカウントゴングを聞いた美奈さんは「団体を離れてだいぶたつんですけど、このようにセレモニーを開いていただいて、感謝の気持ちがたくさんと、あとはやっぱり寂しいですよね。こういう形で(リングに)上がるのは、また寂しいです。でも感謝の方が強いです」と、感謝とともに、いまだに癒えない喪失感を吐露した。
20年連れ添った最愛の夫を突然失ってから2カ月半たったが、気持ちの整理は「もう全然」ついておらず、「本当に夫としては優しくて、なので本当にいないことが寂しいです。私もいいおばさんなので、本当は前向きな言葉も出したいんですけど、やっぱり寂しいですよね」と、「寂しい」を何度も繰り返した。
納骨は吉江さんの地元の前橋市で済ませたが、骨の一部を「私、東京におりますので、少しだけ。やっぱり離れているのはさみしいので」と、手元に置いているという。
吉江さんが亡くなってからプロレス会場を訪れたのは初めてで「選手の皆さんは頑張ってるので応援したい気持ちはあるんですけど、足が向かないです。今日はこのような機会をいただいたおかげで、元気をもらえて、来られて良かったです」と、吉江さんが生涯をささげたプロレスの力も感じていた。
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つねおさんは「悲しいけど、藤波さん、ドラディションさん、選手の皆さんに、こうやってふるさとで弟を送り出していただいたら、ありがとうございましたとしか言えないです。(メモリアルファイトに出場した)4選手も、弟のためにファイトしていただいて、弟の技(田島久丸がフィニッシュに用いたリバーススプラッシュなど)も使っていただいて、ありがとうございました」と感謝した。
吉江さんは1994年のデビューで、今年が30周年だった。つねおさんは「今年30周年で、弟もいろんなことを考えていたんですけど」と、幻となった30周年企画の存在を明かした。
「(吉江さんは)ドラディションのリングでも、30周年のお礼をファンの皆さんにお伝えしたかったと思うんですけど、こういう形で、30年間、本当に応援していただいてありがとうございますと、弟に代わってお礼が言えて良かった。ファンの皆さんには、吉江豊をずっと忘れないでいただければと思います」とファンへのメッセージを送ったつねおさん。
「言葉にならないね、いろんな心境が…」と、弟を先に送ることになってしまった兄のやりきれない心情をにじませていた。(デイリースポーツ・藤澤浩之)