【野球】阪神・才木浩人の完封劇で証明されたスカウト戦略の正しさ 早々に才能見抜く→最後の夏はあえて視察せず「春の段階で決めていた」

 「ロッテ0-1阪神」(2日、ZOZOマリンスタジアム)

 圧巻の完封劇だった。チームが2戦連続サヨナラ負け&5連敗中と窮地に立たされた中、完封勝利で負の連鎖を断ち切った才木浩人投手。「最後は気合なんで」。九回2死三塁からポランコを5球連続のストレート勝負で二ゴロにねじ伏せ、9つめのゼロを刻んだ。

 本当にたくましくなった-。アマチュア担当時代、須磨翔風の才木を初めて見たのは高校2年の夏だった。その日は近畿地方に台風が接近していた影響による悪天候で、大阪大会などが中止に。開催されていたのが兵庫大会で、同地区を担当していた阪神・熊野スカウトらと連絡を取り合いながら球場へ向かったのを覚えている。

 第1試合は報徳学園。注目のドラフト候補がいたため、その試合がメーンだったが「次の試合も見ようか」。そんな一言でバックネット裏に残ると、体の線は細くても腕が長く、柔らかくしなる才木がマウンドに立っていた。スピードガンでは最速138キロ。だが持って生まれた体のせいか、マウンドとホームプレートの間が異常に近く見えた。

 ボールの質も明らかに他の高校生と違う。熊野スカウトは「あの身長で長いリーチを上手に使っている。球速よりもボールが速く見える」と評した。5回戦で前年準優勝チームの三田松聖と激突。才木は2年生ながら先発マウンドに立ち、七回に一挙4点を奪われて同点に追いつかれたが、そこから立て直して勝ちきったゲームだった。

 阪神のお膝元にある公立校に現れた将来性豊かな右腕。夏が終わって新チームになり、最上級生となった秋、春、夏と追いかけた。球速もグングン伸びて、近畿大会や全国大会とは無縁ながらも、最終的に12球団から調査書が届くまで成長していた。

 阪神としては是が非でも欲しい右腕。後日、統括スカウトを務めていた佐野仙好氏からあるエピソードを教えてもらった。「才木はどうしてもほしかった。だから夏の大会は見にいかなかったんだよね。自分が行ったら他球団から阪神の評価が高いってバレちゃうでしょ?もう指名することは春の段階で決めていたから」。

 基本、阪神では選手を指名する場合、担当スカウトとともに統括スカウトがチェックをした上で判断する。佐野氏が才木を視察したのは3年生を迎えた春先の練習試合。この時点ですでに指名することを固めていたという。

 あえて最後の夏の大会を視察せず、「阪神の評価はそこまで高くない」という“煙幕”を張った。他球団のシュミレーションで評価は4位から5位ライン。そこで阪神はドラフト1位で大山を指名し、2位で小野。3位で才木を指名し、交渉権を獲得した。この年のドラフトは田中正義(現日本ハム)、柳(現中日)ら大卒・社会人の即戦力が豊富だっただけでなく、高校生でも夏の甲子園を制した作新学院のエース・今井、履正社の寺島、横浜の藤平など逸材ぞろいだった。

 阪神の戦略では上位で投打の即戦力を補強し、3位で才木。潜在能力を最も高く評価していたことは指名順位が物語っている。全国大会に出場した経験もない右腕の力を見抜いての指名。ドラフト当日に「才木が3位?」と驚いたのも記憶に残っている。

 現在、床田と並んでリーグトップタイの6勝、防御率1・34、球宴ファン投票では先発部門で堂々の1位だ。トミー・ジョン手術を経験し、苦しいリハビリも乗り越えた。本人の努力、指導者の教え、周囲の支えが大きな要因だろう。ただ2年夏の時点から才能を見抜き、交渉権を獲得するため緻密に動いた阪神スカウト陣の戦略。これが決して間違いでなかったことを証明したかのような、才木のピッチングだった。(デイリースポーツ・重松健三)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

インサイド最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス