【野球】確執、不仲、それでも揺るがない「KK」の絆 巨人・桑田真澄2軍監督が語る盟友・清原和博氏 鮮明に思い出すシーンとは

 優勝を決め、抱き合って喜ぶPL学園・清原(中央左)と桑田(同右)=1985年
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 第106回全国高校野球選手権への出場を懸け、全国各地で6月22日から地方大会が続々と開幕している。高校球児にとっては唯一無二の夢舞台。PL学園(大阪)のエースとして、春夏5度出場した巨人・桑田真澄2軍監督(56)が、今年で100周年を迎える甲子園球場について語った。春夏通算20勝は前人未到の最多記録。盟友・清原和博氏への思いも語った。

  ◇  ◇

 「KK」-。甲子園誕生100周年の歴史を振り返る時、象徴と言うべき存在が2人ではないだろうか。伝説となった池田戦、阪神園芸のおっちゃん、野球の神様…。桑田2軍監督の思い出話が多岐にわたる中、盟友・清原和博氏の話題でほほ笑む姿が印象的だった。

 運命のドラフトから確執、不仲も時代の一部ではある。ただ、同じ時代を生き、苦楽を共にした「絆」は揺るがないのだろう。四十数年前の夏を昨日のことのように振り返りながら、桑田2軍監督は「いろんないい選手がいて5季連続出場。本当にいい仲間に恵まれました」としみじみと語る。

 「彼がいなかったら、僕の20勝もなかったでしょうしね。13本もホームランを打ってくれてるわけですから。KKでよくクローズアップされますけど、僕ら2人だけではこういう記録は出せなかったと思います。周りに松山(秀明=ソフトバンク2軍監督)がいたり、内匠(政博=オリックススカウト)がいたりね」

 鮮明に思い出すシーンは、ピンチの場面だと言う。一塁から清原氏がマウンドに来て「桑田、フォーク使えよ。三振やぞ」と声が飛ぶ。桑田2軍監督が3年間、直球とカーブだけで打者を抑えたのは有名な話。「これで抑えられないような投手は、プロに入ってエースになれないと思っていた」のが理由だが、実は紅白戦だけはスライダー、フォークを投げていた。

 「キヨには、『いや、アカンねん。オレは真っすぐ、カーブで勝負せなアカンねん』ってね。よく言っていました。2年生の時は(春、夏ともに)準優勝でしたからね。やっぱり投げるべきか、すごく葛藤はありました。僕にはジャイアンツでエースになりたいという夢があったから、3年間封印した。投げ切ったんですけど、3年生の時が一番苦しかったですね」

 制限を加えたことで投球術が磨かれた。135キロ、140キロ、145キロと5キロ刻みで緩急を付けた「3種類の真っすぐ」。カーブとともに打者の特徴を見て「ここに投げると、こういうアウトが取れる」と自然と感性が磨かれた。「野球はそれだけ魅力があるスポーツ。ただ、難しいスポーツなんですよ」。現役を終えてなお、探究心に終わりがない。だからこそ、清原氏の長男・正吾が慶大で競技復帰し、プロを目指す姿が心に響いた。

 「いや、うれしいですよね。何度か彼にも会ったことがあるんですけど、いろんなことにチャレンジしてもらいたいです。難しいスポーツにチャレンジする姿を見るのが、僕は非常にうれしく思います。プロ野球に…という話も記事で見ますけど、もしそうなったら非常にうれしいですよね」

 野球がつなぐ絆。最後に全国の高校球児、プロの世界を目指す盟友の息子に、エールを送った。「大事なことは、ゲームセットまで、最後の最後まで諦めないということですね」。KK-2人の物語はまだ続いていく。(デイリースポーツ・田中政行)

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