【芸能】元読売テレビ清水健アナが退社を選択した理由 愛する妻と突然の別れ 育児と仕事に明け暮れ「心が崩れていくのがわかった」

 読売テレビ時代は夕方のニュース番組「かんさい情報ネットten.」メインキャスターを務めるなど、局の顔として活躍。2017年1月に同局を退社し、現在はフリーで活動する清水健アナウンサー(48)が、4月からラジオ関西「Clip」(月~金曜、後1・00)の木曜パーソナリティとして、初のラジオレギュラーに挑戦中だ。2013年に元スタイリストの奈緒さんと結婚し、翌年には長男が誕生。しかし、そのわずか112日後、奈緒さんは乳がんでこの世を去った。シングルファーザーとして仕事と育児に奮闘する中で訪れた限界。当時を清水に振り返ってもらった。

 読売テレビを退社して7年が過ぎた。「やっぱり、自分の大好きな場所だったので、離れちゃったな、という感覚はありますね」。そう話す清水の笑顔は少し複雑そうだった。

 あのときの決断が正しかったのか、答えは出ない。目の前から奈緒さんがいなくなって2年、清水は長年勤めた読売テレビを退社する。「キャスターとしても、父親としても100%でいたい。そう思う中で心が壊れかけていたんだと思います」と、当時を振り返る。

 自身の母親や姉の助けも借りながら、育児と仕事に明け暮れた。ある日、仕事から帰宅し、息子を抱き上げた瞬間、その体重を支えきれずふらつき「はっとした」という「『これじゃダメだ』って。自分がボロボロになる姿を見て、誰が喜ぶんだろうって思ってから、心が崩れていくのがわかったんです」。体重は20キロ減り、ほとんど眠れない日々。「何も感じなかったというか、気づかないように、考えないようにしていた」が、心身共に限界を自覚した。

 それでも家族、友人、そしてカメラの前でも、弱音を口にすることをよしとできない自分がいた。「だってキャスターだから、だって父親だから、という思いがあったのかな。子育てにおいても、特に、仕事において、言い訳なんてしたくない。全力でできないのなら、キャスター失格ですから」と、無理やりに奮い立たせた。

 だが、思いとは裏腹に、清水は周囲から孤立していった。「100%でできていないかもしれない自分が本当に歯がゆかった。そうなると意固地というか、すごく自分にバリアを張ってしまった。『もう何も言うな』って。勝手に孤独になって。そうなると誰も寄ってこないですよね」と、自戒を込める。

 局側からは部署異動など提案を受け慰留されたが、「やっぱりアナウンサーでいたい。そうでないなら、いったん距離を置こう」と、自身の心に従った。「プライド、変なプライドですよね」と、今では笑って振り返ることができる。

 「でもね」と、一呼吸置いた清水。「一言でも(弱音を)言えたら、何かが変わっていたのかもしれない。その答えって本当にわからない」と、首をひねった。辞めたことが正しかったのか、体が壊れても全力を尽くすべきだったか、カメラの前で弱さをさらけ出すことで心身の安定は図れたのか。今でも答えは出ない。

 キャスター業からは距離を置いたものの、余裕ができたわけではなかったという。生活していくためには働かなければならない。フリーアナウンサーとして講演会などを行いながら、がん撲滅やがん患者の支援にも注力。退社直後は「本当にこれで良かったのか、と思ったし、妻と出会った場所、妻が応援してくれていた場所だったので」と、前職への思いも消えることはなかったが、「100%の父親」であろうと努力を続けた。(デイリースポーツ芸能担当・鳥井 裕二)

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