【スポーツ】「今のチームを最後に」古賀紗理那の覚悟の重さ感じた木村沙織さん 日の丸背負いチームを導いた新旧エースの絆

 2012年ロンドン五輪バレーボール女子銅メダリストの木村沙織さん(37)が、16日までに取材に応じた。自身が引退後、エースを継いで日本代表を引っ張った古賀紗理那との思い出を語った。

 「ちょっと話したいことがあります」。今年4月、日本代表の練習見学で体育館を訪れた木村さんは、古賀からいきなり声をかけられた。

 「引退します。オリンピックで最後にします」

 この報告を受けたときは、五輪の出場権を獲得していないタイミング。「もし五輪が決まらなくても辞めちゃうの?」と木村さんは聞いた。返ってきたのは「もう決まる、決まらないは関係なく、今のチームを最後にしたいです」。その言葉に古賀の覚悟の重さを感じたという。

 そこからの古賀のプレーは鬼気迫るものだった。2024年5月から始まったネーションズリーグでは、毎試合でエースとして得点を量産。チームを銀メダルに導き、パリ五輪切符を獲得した。さらに個人としては、大会ベストアウトサイドヒッターに選出された。

 プレーはまだまだ世界で通用する。それでも古賀は7月に自身のSNSで、パリ五輪での引退を報告した。一度決意したことは曲げず、目標に向かって突き進む。「紗理那らしいな」。木村さんは、その投稿に「楽しんできてね」と1文のエールを送った。

 新旧エースの絆がある。古賀が初代表入りした高校生当時から、木村さんは目をかけていた。16年リオデジャネイロ五輪の最終選考の場となったワールドグランプリ。これまでの試合の起用法から誰もが古賀の代表入りを予感していたが、まさかの落選となった。メンバー外となった選手は、すぐに帰国しなければならない。古賀が木村さんのホテルの部屋にあいさつに訪れたとき、去り際に声をかけた。

 「紗理那は埋もれちゃダメだよ」

 中学生から所属するチームで柱として活躍してきた古賀にとって、落選はほぼ初めての経験。逆境をバネに変えられる選手と、腐ってしまう選手がいるが、古賀には前者になってほしかった。「紗理那はいい選手だし、これからも日本を引っ張る選手だと思った」(木村さん)

 古賀はその言葉をきっかけに立ち上がり、その後は代表エースとしてチームをけん引。東京五輪、パリ五輪と2大会の夢舞台を戦い抜き、最終戦のケニア戦ではチーム最多の16得点を記録してストレート勝ちに導いた。

 試合後は「バレーボールが大好きな古賀紗理那として戦った」と大粒の涙を流した古賀。木村さんは「1人のアスリートとしてすごく成長したなと思うし、今は尊敬のまなざしで見ています」と後輩の活躍に目を細めた。(デイリースポーツ・谷凌弥)

 ◆木村沙織(きむら・さおり)1986年8月19日、東京都八王子市出身。小学2年からバレーボールを始め、成徳学園高(現下北沢成徳高)2年で日本代表に初招集。3年時にアテネ五輪代表に選ばれ、05年に東レ入りした。12年ロンドン五輪後にトルコ1部・ガラタサライでプレーし、14年から東レでプロ契約。16年末に元インドア、ビーチバレー選手の日高裕次郎氏と入籍。17年3月に現役引退を発表した。185センチ。現役時代のポジションはウイングスパイカー。

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