【野球】甲子園4強左腕は会社社長に 年商数億円 ダルビッシュの投球に衝撃 プロ2勝の土屋健二さん「やる気と気合と根性」昭和の精神でプロの年俸超え

 プロ野球の日本ハム、DeNAに在籍した土屋健二さん(33)は今、保険代理店「株式会社Bridge」の代表取締役社長として活躍する。高校時代は名門・横浜高で甲子園ベスト4入りした左腕は、プロ7年間でわずか2勝に終わった。現役引退後は8個の資格を取得し、会社を経営する。

 熱戦が繰り広げられる高校野球の甲子園大会。もう十数年前になる。2008年、灼熱(しゃくねつ)の太陽の元、名門横浜高の背番号1を背負った土屋はチームを全国4強に導いた。

 「野球で一番輝いていたのは、高校時代ですかね」

 懐かしそうに渡辺元智監督のもと厳しい練習に耐え、2年秋に明治神宮大会準優勝、3年夏の甲子園ベスト4と結果を残した高校時代を振り返った。

 甲子園大会が終わると高校日本代表にも選ばれ、プロからも声がかかった。同年のドラフト会議で日本ハムから4位指名を受けた。

 07年に16勝を挙げたロッテ・成瀬善久の高校の後輩ということで「成瀬2世」のふれ込みでプロの門をたたいたが、4年間で1軍4試合の登板で12年オフにDeNAに移籍。新天地での1年目に2勝を挙げたが、以降は勝ち星がなく15年オフに戦力外通告を受けた。

 プロで大成できなかったが、得るものもあった。

 「高校までは知名度も結構あって結果も残した方だと思うんです。でもプロに入るとすごい人がいっぱいいるなって感じた。この人たちに勝っていくために何をしないといけないかって、18歳ながらに考えるわけじゃないですか。18歳だったけど、そういう考え方をしないと勝てない環境に入れたのが、今の人生につながってるなって思います」

 当時、日本ハムのエースに君臨していた現パドレスのダルビッシュの投球を見て衝撃を受けた。それでもなんとか成功するために工夫したことが今の成功につながっている。

 2015年終盤には移籍先のDeNAで球団に呼ばれ、育成契約での野手転向を促された。横浜高時代に1学年下の筒香嘉智(現DeNA)が入学前まで4番を打っていた。しかし、2軍でどれだけ打席数が与えられるか。年齢的なことも考えるとチャンスは多くない。

 「それだったらもうピッチャーをやるだけやって踏ん切りつくぐらい、未練ないくらい頑張った方がいいなと思ったんで。だからやらないって」

 野球人生に別れを告げ、第二の人生を踏み出した。

 政府金融公庫から借金をして会社を設立。当初はイベントなどを企画する会社を立ち上げたが、その一方で保険関係の資格取得に時間を費やし、2年後に保険代理店「株式会社Bridge」を設立した。

 「プロ野球選手に負けないぐらい結果を残した時に収入を稼げるところってどこなんだろうっていうのを探しました。それがたまたま保険だった」

 選手時代に大手保険会社の保険に入っていた。同一社の保険には一長一短がある。ただ、他社の商品を購入することはなかった。保険各社のいい保険商品を扱うには、保険代理店を経営することだった。

 「めっちゃいろんな方に話を聞きましたね。野球もそうなんですけど、結果を残せば残すほど年俸が上がっていくじゃないですか。どの業界も結果を残したらやっぱ収入って上がっていくんだし」

 第二の人生で輝くために努力は惜しまなかった。睡眠時間を削って保険関係の資格取得に励んだ。結果、今では8個の資格を取得した。

 高校時代から野球一筋。「勉強はしてないですね」と苦笑いを浮かべたが、ユニホームを脱いでからは猛勉強も苦にならなかった。

 「ダルビッシュさんに勝つってほぼ無理じゃないですか。それでも勝つために何をしないといけないのかって考えるわけじゃないですか。そこが僕はすごく大事だなって。成長意欲があるから考えるわけで、これが一般社会に出た時に、一般社会にいる方たちに負けないなって思ったところですね」

 プロで過ごした7年間は決してムダではなかった。

 今では社員を7人かかえ年商数億円の会社まで成長させた。「二代目の方はいますが、一代で築いた人は聞いたことがない」と胸を張った。年収もプロ野球選手時代を大きく上回っている。

 ただ甘い世界ではない。高収入を夢見て入社する社員もいるが、厳しさに耐えられず早々に退社した社員もいる。

 「成功した人とダメだった人っています。決まり事を守るとか大事ですけど、営業職なんで成績が全てです」

 保険業界は野球界と同じように結果が全ての世界でもある。経営者として成功者と失敗者の違いもしっかり分析している。

 「うまくいっている人は、もっとうまくいくためにどうしなきゃいけないのかっていうのをひたすら考える。うまくいってない人は、人のせいにする。うまくいってないかもしれないけど、それを自責にできる人は成長すると思います。うまくいっていない人はみんな他責にする。この違いはめちゃくちゃ大きい気がします」

 社員教育ではPDCA(プラン、行動、チェック、アクション)を徹底している。

 今後について「年商100億円企業を作りたいなと思ってて」と目標を語った。

 続けて「そのためにはまだまだ成長しないといけない。いろんな知識も身につけないといけないですし、組織力を作っていかないといけない。まだまだ学ばないといけないことだらけだなっていうのは正直すごく感じている」と謙虚に話した。

 また、プロ野球選手のセカンドキャリアの受け入れも視野に入れている。最近、昨年までヤクルトに在籍した荒木貴裕さんが入社することも決まった。

 「プロ野球選手でしたっていうだけで、普通の人じゃ会えなさそうな方にもさらっと会いやすいことはある。そこからどう信用を得ていくか」

 自らの経験をもとに元プロ野球選手の肩書は、セカンドキャリアにおいて武器であることを強調した。ただ、それはアドバンテージに過ぎない。そこからいかに自ら努力するかが成功のカギとなる。

 「勉強ができなくてもやる気とか成長意欲とかがあればいい。僕はそっち系なんで。やる気と気合と根性でここまで来たみたいな感じ。分かんないことは学べばいいじゃんと思っている。野球は技術的なことがあって、そこは違うかなと思う。ただ精神的な部分は一緒。考え方っていうのは昭和です。何百億円を稼ぐ人は寝ずに努力しています」

 弱冠33歳。令和に生きる社長は、今の高校球児が聞けば驚くような「やる気と気合と根性」で会社を成長させていく。(デイリースポーツ・岩本 隆)

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