【野球】通算1打数無安打でも明大・池田凜がプロ志望届を提出した理由 履正社時代はヤクルト・奥川から2安打で日本一に貢献も
明大・池田凜外野手(4年・履正社)がプロ志望届を提出した。高校2年夏に出場した甲子園大会では星稜との決勝で奥川恭伸投手(現ヤクルト)から2安打を放ち日本一に貢献した経験を持つが、大学では苦しみ、リーグ戦通算1打数無安打。実績がない中で、次のステージに挑戦する決断をした思いを聞いた。
激闘が繰り広げられる神宮球場。池田の姿はグラウンドではなく、紫紺に揺れるスタンドにあった。阪神・井上らの1学年下だった履正社で日本一メンバーとなった“甲子園のスター”は今、挫折を乗り越え、夢舞台への思いを強くしている。
3年前、「一番レベルの高いところでプレーしたい」と希望を胸に明大に入学した。「すぐにスタメンで出るという気持ちで練習していました」と池田。だが、その自信は打ち砕かれた。
主に二塁を守っていたが、同じ内野では2学年上に村松(現中日)がおり、同学年には24日のドラフト会議で1位指名が決定的な宗山の存在があった。「想像よりもはるかに上のレベルを見て、力のなさを感じました。宗山はプレーはもちろんうまいですが、普段の生活から全て野球につなげられているなと、スタートの時点ですごく差を感じました」。大きな壁に直面した瞬間だった。
さらに何よりもつらかったのは、初めて親元を離れ、家族以外と共同生活を送る環境だ。「先輩方は優しかったんですけど、一人でいることが好きだったのもあって、気を使って落ち着けなくて」と慣れない寮生活に食事も喉を通らず、体重は1年間で約7キロ減。思うように結果も残せず、「何をしてるんやろうと情けなくて。自分で自分を追い込んでいました」と試合に出られない日々に不安と焦りが募った。
AチームとBチームを行き来し、3年時には出場機会を求め外野に挑戦。試行錯誤を重ねたが、リーグ戦に出場できたのは2年春の1試合のみ。代打で投ゴロに倒れた。
それでも、次のステージを目指す理由がある。「やっぱり夢をかなえたい思いが強くて、どんな状況でも応援してくれた家族にプロで活躍して恩返しがしたい」-。家族との電話での何げないやりとりに救われた大学生活。諦めるという選択肢はなかった。社会人野球や一般就職は考えず。大学での実績はないため、独立リーグ挑戦も視野にプロ志望届を提出した。
苦しんだ日々で得たものも大きい。「いらないプライドを捨て現状を受け止める素直さ」「自分の夢を信じ続ける大切さ」。そして「良いときも悪いときも周りにいてくれる人たちを大事にする気持ち」だ。ラストシーズンの今秋、チームはわずかながら優勝の可能性を残す。「最初は応援するのも悔しかったですが、今は素直に仲間に頑張ってほしい」と池田。かけがえのない4年間を糧に、夢を追い続ける。(デイリースポーツ・間宮涼)
◆池田 凜(いけだ・りん)2003年3月9日生まれ、21歳。大阪府東大阪市出身。175センチ、82キロ。右投げ左打ち。小学3年から硬式の東大阪リトルリーグで野球を始め、英田中では硬式の名門・生駒ボーイズでプレー。履正社では1年秋からベンチ入り。大学でのリーグ戦出場は2年春の慶大3回戦のみ。50メートル走6秒0、遠投100メートル。打率も残して長打もある打撃がアピールポイント。