【サッカー】横浜Mが障がい者支援活動を行う理由 「誰もがスポーツを楽しめる環境をつくる」ぶれない理念の表れ
11月16、17日の2日間、神奈川県藤沢市内で「全国知的障がい者サッカークラブ選手権 ジヤトコカップ」が開催された。横浜Mは約20年前、知的障がい者サッカーチームを持ち、他のJクラブも含めて少しずつではあるが広がりを見せている。横浜MがJクラブとして障がい者支援の活動を行う理由とは何か。プロチームの大きな存在意義ともなる理念を取材した。
イメージを覆された。初めて目にした知的障がい者のサッカーは球際の争い、ゴール前の攻防と、想像以上に高いレベルで熱戦を展開。大会は「横浜F・マリノスフトゥーロ」が2015年大会以来の優勝を飾り、幕を閉じた。
大会を視察した横浜M・中山昭宏社長は「(ピッチで)健常者とか知的障がい者という境界線みたいなものは感じなかったと思う。サッカーを通じてみんながつながっていくことが狙いの一つ」と開催の意義を語った。
横浜Mは「障害者スポーツ文化センター横浜ラポール」の協力で、04年にJリーグ初の知的障がい者チーム「横浜F・マリノスフトゥーロ」を設立。電動車いすサッカーの「F・マリノス杯」開催など、長年障がい者が日常でサッカーを楽しめる取り組みを行ってきた。
その歩みは順調だったわけではない。一般社団法人F・マリノススポーツクラブの地域連携本部部長・佐々木伸一氏は「世の中がパラスポーツへの関心を持ち始めたかな、と。ここ数年、そういう形で私たちがやっていることへの情報共有をしながらクラブが増えている感じです」と説明する。
約20年前、こうした取り組みを行っていたJクラブは横浜Mのみ。それでも「健常者も障がい者も一緒に楽しめるスポーツ、誰でも楽しめる環境をつくらないといけないと始まった」という強い思いの下、地道な活動が続けられてきたという。
現在はJクラブでもJ2水戸、J3鹿児島が知的障がい者チームを持ち、今大会も参加。それでも中山社長は「Jリーグが60クラブに広がっている中で、まだ片手ほど。まだまだですね」と話すなど課題は少なくない。
フトゥーロは障がいの程度や技術でA~Fにチーム分けをしているが、今大会のようなレベルでは障がいが軽い選手が中心となってしまう。障がいの重い選手が出場する大会は数が少なく、佐々木氏も「みなさんが問題なく試合に出られる環境が作れれば」と環境整備も、道半ばの状況だ。
障がい者サッカーもアンプティサッカー(切断障がい)、ブラインドサッカー(視覚障がい)など7競技が存在し、Jクラブがどこに注力していくか、クラブ間で連携を取って全体を普及していくかも課題。その中で、フトゥーロは18年から横浜社会人リーグに参戦して健常者と試合を行うなど、歩みを進めている。
一般社団法人の名称は「F・マリノススポーツクラブ」。サッカーという名をうたっていないのは「いろいろなスポーツで老若男女、障がいのある無しにかかわらず誰もがスポーツを楽しめる環境をつくる」という理念の表れだ。「われわれはぶれずに今後もやっていきたい」と中山社長。その取り組みは少しずつ、ただ着実に、理想の日常を近づけている。(デイリースポーツ・中田康博)