“オジサンカメラマン”若き日のオリンピック 96年アトランタ五輪の思い出

数秒のタイム差で銅メダルとなった有森裕子。翌日の紙面には通信社の写真が載っていた=1996年7月
走幅跳で金メダルのカール・ルイス。世界中の注目を浴びた彼をレンズに収めるため、場所取りに苦労した
五輪初出場の朝原宣治(右)。100メートル準決勝での1コマ。左は100メートルで金メダルのカナダのドノバン・ベイリー。
3枚

 23日、東京オリンピックがいよいよ開幕する。報道各社は、各競技場にカメラマンを配置、アスリートの迫力ある一瞬を狙う。写真が数分後にはネット上で公開される今、かつて五輪取材を経験した「オジサン」カメラマンが当時を振り返る。

 先日、入社数年目の若い社員と話していた時のこと。

 「フイルムの取材って大変そうですね。その場で撮った写真を見られる仕組みとかないんですか?」。「いや、現像するまで見られないよ」と、返して苦笑した。そう、彼女は「撮ってすぐ画像を見られる」デジタルカメラ(あるいは携帯かスマホ?)で育った世代。「すぐ写真を見られる」という言葉から25年前の経験を思い出した。

 96年のアトランタはフイルムで取材した最後の五輪だった。通信社や一部の新聞社が黎明期のデジタル一眼レフカメラを持ち込んだが、画質や速写性はフイルムには及ばなかった。時差の関係で、競技の結果が締め切り直前になる場合の対策だった。

 私はと言えば3台のフイルムカメラを抱え、取材をした後は現像して電話回線で写真を神戸の本社に送信していた。現像に約20分、送信に約40分。撮影後1時間は必要だった。

 女子マラソンの競技時間を日本時間に合わせてみると、最終版の締め切りギリギリとなりそうだった。本社のデスクは「早くゴールするようなら一応待ってみる。そっちも1分でも早く送れるように考えてくれ」と言ってくれた。ただし、「通信社から早く届いたらそっちを使うぞ」と釘を刺された。

 当日、有森裕子が3位でゴール、その表情を撮影した私は大きな600ミリレンズを抱えたまま高さ2メートル程のカメラ台から飛び降り、現像道具と電送機の設置場所まで走った。横目で通信社のカメラマンがデジタルカメラで撮影した写真をパソコンと携帯で送信する姿を見ながら…。

 電話で「これから現像…」と言いかけたところで「今からじゃ無理。通信社の写真で行く」と遮られた。無言で電話を切った私は大事なフイルムを現像もしなかった。口惜しさで何をする気も起きなかったのだ。

 自分で撮影した有森の写真を見たのは帰国してから。いずれ必要になるため、会社で現像した。撮ってすぐどころかかなりの日数がたっていた。今思えば、のんびりした時代とも言えるが、撮影から送信まで、判断を誤るとそれまでの努力が無駄になる、今とは違う厳しさがある時代だった。(写真と文 デイリースポーツ・坂部計介)

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