写真で振り返る甲子園今昔物語【1】リニューアル経て今も茂る名物ツタ 「銀傘」戦前は呼び名も違った

 8月1日に開場100周年を迎える阪神甲子園球場。阪神タイガースのの本拠地として、また、春と夏には高校野球の聖地として、さまざまなドラマの舞台となってきた。甲子園といえば、ツタ、アルプススタンド、銀傘など数々のシンボルもある。100年の歴史を秘蔵写真で振り返る。その1。

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 【ツタの外壁】甲子園のシンボルともいえる外壁のツタは、球場完成時、コンクリートの打ち放しの殺風景な壁面を飾る目的で植えられた。約80年にわたってツルを伸ばし続け、株数約430本、葉の面積はタタミ8000畳分ともいわれたが、2006年秋からの球場のリニューアル工事に伴い、いったん伐採された。その後、高野連の全加盟校に贈呈されていたツタが「ツタの里帰り」で戻ってくるなどし、09年に再植栽が完了。再び外壁にツルを伸ばしている。

 【大鉄傘と銀傘】開業当初、内野席を覆う形で鉄製の屋根が設置され、「大鉄傘(だいてっさん)」と呼ばれた。太平洋戦争時に軍への金属供出により一時撤廃されたが、戦後、内野席の一部を覆う形でジュラルミン製の屋根が復活。「銀傘(ぎんさん)」と呼ばれるようになった。82年にアルミ合金製、09年にガルバリウム鋼板製にふき替えられた。阪神電鉄は昨年、夏の甲子園の暑さ対策として数年後にアルプス席まで拡張する構想を発表した。

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