写真で振り返る甲子園今昔物語【3】平成元年生まれも知らない?名物ゾーン 1947年両翼に設置も「広過ぎるから」で撤去
8月1日に開場100周年を迎える阪神甲子園球場。阪神タイガースのの本拠地として、また、春と夏には高校野球の聖地として、さまざまなドラマの舞台となってきた。甲子園といえば、ツタ、アルプススタンド、銀傘など数々のシンボルもある。100年の歴史を秘蔵写真で振り返る。その3。
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【ラッキーゾーン】開業当初の甲子園は両翼110メートル、左中間は128メートルあった。本塁打を出やすくするため、1947年5月に外野フェンスの手前に金網が設置され、「LUCKY ZONE」と書かれたパネルが貼り付けられた。両翼は91メートルとなり、ラッキーゾーン内にはブルペンを設置。観客は救援投手の投球練習を見ることができた。80年代後半に入ると、野球の国際化による球場基準の見直しや選手の体格向上、野球用品の品質向上などにより撤去案が議論され、91年12月に姿を消した。
【冬はアメフトの聖地】全日本大学アメフト選手権の決勝戦。全国8学生連盟から1校ずつが出場するトーナメントを勝ち上がった2校が甲子園で対戦する。2008年までは東西大学王座決定戦として、関東学生リーグと関西学生リーグの代表校による対抗戦として王座が争われていた。
大会は第2次世界大戦後の1947年からスタート。立案者が、米国で大学アメフトのビッグゲームに名付けられる「ボウル・ゲーム」という言葉にこだわったことと、「ボウル=おわん」ということから「おわん型スタジアム」での開催を目指したことで、会場と大会名が決まった。第5回大会までは米語の発音に倣って「甲子園バウル」と表記されていた。
第1回大会は1947年4月13日、関西から前年リーグ戦優勝・同大、関東からは前年秋のリーグ優勝・慶大が対戦し、慶大が45-0で勝利。前回2023年の第78回大会は関学大が史上初の6連覇で、同最多34度目の優勝を果たした。
大会は毎年12月に開催されており、甲子園の冬の風物詩として親しまれている。