ヤクルト一筋47年 八重樫幸雄さんは第2の“神主”育成へ 個性生かす情熱指導
極端なオープンスタンスから、バットをピンと立て、投球を待つ。落合博満、小笠原道大ら神主打法の元祖といえば、この人だろう。八重樫幸雄、66歳-。1969年、仙台商から強打の捕手としてドラフト1位でヤクルトに入団。24年間で通算103本塁打を放った。その後もコーチ、2軍監督、スカウトとして47年間、2016年11月の退団までヤクルトで半世紀近くを過ごした。
ヤクルトを退団し、65歳から始まった第2の人生。学生野球資格回復の適正認定を受けて、アマチュアへの指導ができるようになった現在、八重樫さんは精力的に動いていた。「小中学生を野球教室で指導しています。こないだは新潟の長岡へ、熊本にも行ってきました」という。子供たちの野球離れを危惧し、「公益社団法人全国野球振興会」にも参加している。「全体を底上げしながら、特に北の方の子の手助けができればと思っているんだけど」と笑った。
仙台出身とあって、スカウト時代は東北、北海道地区を中心に担当した。岩手出身の風張蓮投手、青森山田高出身の山崎晃大朗外野手らヤクルトの若手は今も気になる存在だという。先日まで行われていた選抜高校野球もスカウト目線での観戦になるといい、「大阪桐蔭の根尾くんとか、いいですよね」と期待を寄せた。
子供たちへの指導も現役時代に投手、遊撃以外はすべて守り、2軍監督の経験もあるだけにお手の物。2軍監督時代には岩村明憲、五十嵐亮太らを指導し「岩村はやんちゃで、五十嵐は真っ白な子だった」と個性を見極めて、育成に取り組んだ。ある選手が反抗的な態度を見せた際にはユニホームを着せずに球拾いをさせたこともある。技術だけでなく、人間力を高める手助けも忘れない。
とはいえ、気になるのは個性派の存在。自身も独特の打撃フォームだっただけに「スカウト時代からちょっと変わった子が気になるんです」という。「ここ数年で個性的な子も増えてきましたよね。その個性を生かしていける指導を心掛けています」と第2の“神主”育成に目を輝かせていた。(デイリースポーツ・中村博格)
◆八重樫幸雄(やえがし・ゆきお)1951年6月15日、宮城県仙台市生まれ。仙台商1年の1967年夏の甲子園に出場し、2回戦敗退。69年夏の甲子園では「4番・捕手」として、ベスト8進出。その年のドラフトでヤクルトから1位指名され、プロ入り。84年に自己最多124試合18本塁打を記録。85年には打率・304、13本塁打でベストナインにも輝いた。現役23年間で通算103本塁打、401打点。引退後は2軍監督、1軍打撃コーチを務め、09年からはスカウトに転身。16年11月に退団するまでヤクルト一筋だった。