「世界の王」と中学からのライバル…大羽進さんは一本足打法にフラミンゴ投法で対抗
「アイツ、バックネット裏で喜んでいたんだ」-。
広島、東映(現日本ハム)に在籍した大羽進さんは、60年前のことを今でも鮮明に覚えている。日大一3年の夏、東京大会・4回戦で帝京商(現帝京)に敗れ、甲子園への道が絶たれた。ライバルの敗戦を無邪気に喜んでいたアイツは、のちに世界一の868本塁打を放つ早実の王貞治(現ソフトバンク会長)だった。
9月に78歳となる大羽さんは今、1988年以来甲子園から遠ざかっている母校を週2回のペースで訪れ、投手の指導をしている。「自分のやってきたことを教えている。今の子どもは怒鳴りあげるわけにはいかないから難しい」。野球にかける情熱は、あの60年前と変わっていない。
東京・隅田川沿いに生まれ育った。日大一中時代に同じ左腕である王貞治の存在を知った。中学時代は墨田区大会決勝で敗れた。高校時代は3度対戦し、1勝2敗。最後の夏は、ライバルと戦う前に敗れた。中、高校を通じて1勝3敗。明大に進学を予定し、王との対決は終わるはずだった。
それが家業のメッキ工場が倒産。急きょ広島に入団し、巨人に入団した王と再びライバルとして戦うことになった。「勝負にいっていたからね」と通算対戦成績は174打数55安打、打率・316、12本塁打と打たれた。それでも通算48勝のうち巨人から19勝を挙げ「巨人キラー」と呼ばれた。
しかも王との対戦で節目の勝負には勝った。64年、伝説の王シフトが誕生した日に先発。5打席連続本塁打がかかった対戦で一塁ライナーに仕留めた。同じ年に7試合連続本塁打のかかる一戦でプロ入り初完封勝利も収めた。その後も王の一本足打法に対し、タイミングをずらすため右足を止めるフラミンゴ投法で対抗した。プロでも中学時代からのライバルと幾度も名勝負を繰り広げてきた。
72年に東映に移籍し、その年限りで現役を引退。古巣の広島から声もかかったが、「東京がよかったのかな」と球界から足を洗い、サラリーマンとして2年を過ごし、その後は兄と家業のメッキ工場を再建させ60歳まで働いた。
現役時代、王とは「今のように他チームの選手と食事に行くことはなかった」と練習中に立ち話をするくらい。引退後も「5、6年前かな。早実の後輩と焼き鳥を食べているときに、“先輩に電話します”というんで電話で話したくらい」と、この時に携帯番号を交換したもののほとんど交流はない。
再婚した王会長に「いいんじゃないかな。携帯に電話番号は入っているけど、おこがましくて電話できないよ」と笑った。中学時代からライバルとして生きてきた2人は、決して交わることはない。ただ、球団会長として常勝チームを率いる王に対し、今夏も甲子園の夢が途絶えた母校の再建に尽力する大羽さん。中学時代からのライバルはカテゴリーこそ違うが、今も野球に対する情熱は変わっていない。(デイリースポーツ・岩本 隆)
◆大羽 進(おおば・すすむ)1940年9月19日生まれ、東京都出身。左投げ左打ち。投手。日大一から59年に広島入団。66年にオールスター出場。72年に東映移籍、その年限りで現役を引退。通算成績は446試合に登板、48勝79敗、防御率3・50。現在は日大一の非常勤コーチを務める。