K-1の次はM-1参戦?あの地下足袋ファイター「西島洋介山」の今
1990年代に国内唯一のヘビー級プロボクサーとして話題を集め、96年に東洋太平洋クルーザー級王座に就いた西島洋介さん(45)は現在、東京・西新宿のジムを中心にトレーナーとして生計を立てている。2013年11月、ボブ・サップとの一戦を最後に格闘家を引退。その後は離婚も経験したが、すべてを肥やしに長年の夢でもあるジム経営を目指して日々奮闘中だ。
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はにかんだ表情は昔のまま。西島さんが静かに口を開いた。
「早くジムを開設したいんですよ。そうすれば、息子もまたボクシングを始めるかもしれない。ジムの一角にはバーを設けて。そうすれば、みんなに楽しんでもらえる」
かつては、とにかく奇抜なボクサーだった。スキンヘッドに唐草模様のトランクス。そして極めつけはシューズの代わりに地下足袋といういでたち。その上、リングネームが「西島洋介山」。プロデュースしたのはオサムジムの渡辺治会長。「山のように大きな男になれ」。国内唯一のヘビー級ファイターはこうして売り出された。
後に何度も契約でこじれる2人の出会いは埼玉・小松原高時代に通学路で会長からスカウトされたのが始まりだった。
「当時はマイク・タイソンに憧れて。小さい体でも戦えると信じて疑わなかった。世界一強い男になりたくて、ひたすら増量。ミドル級には全く興味がなかった」
92年3月にプロデビューし、95年2月にはNABO北米クルーザー級王者に。一躍人気者となり、凱旋試合となった大阪城ホールを沸かせた。さらに96年10月には東洋太平洋同級王座に就くと、97年7月にはWBF世界同級王座も獲得した。
だが、悲運がつきまとう。WBO6位までランキングされたが、今ほどJBC(日本ボクシングコミッション)は各団体に寛容ではなく、公認されたのは当然のように東洋太平洋クルーザー級王座だけ。オサムジムとの契約もこじれ、99年に単身渡米。再起を目指したものの、オーバーワークから両ひじを痛め、2003年7月のカリフォルニア州クルーザー級王座決定戦で敗れたのを機にボクシングから離れた。
もし、今の時代でミドル級に専念していたら…というのは、かなわぬ夢か。帰国後はK-1や総合格闘技のリングに立ち、マーク・ハント、ピーター・アーツ、柔道の吉田秀彦らと対戦。時に熱戦を演じたが、8連敗と黒星を重ねた。
「会長から常々『10連敗したら辞めろ』と言われていたので辞めるつもりはなかった。会長の(言葉は)は心に残る言葉が多い。ケンカしても師匠なんでしょうね」
こんなところがいかにも西島さんらしいが、13年11月、あのボブ・サップと戦い、1回KO勝ち。これを最後に現役を退いた。
現在は東京・西新宿の格闘技ジム「ヒデズ・キック」で英会話ボクササイズなどを指導。差し出された名刺には「マスターにし」とあり、ボクシングイベントのプロデュースや交流会の開催、出張個人レッスンなどと書かれていた。
最後に意外な話も。西島さんをマネジャーとしてサポートするタレント・アンナさんは“M-1参戦プラン”も練っていると教えてくれた。寡黙な西島さんも案外まんざらでもなさそう。K-1からM-1に!?今年の年末は、ひょっとしたらひょっとするかも。(デイリースポーツ特約記者・山本智行)