カープOB川島堅さん、右肘痛で通算1勝に終わった悲運のドラ1 現在は東京で整骨院を経営

「一橋整骨院」で忙しい日々を送る川島さん
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 東京・東亜学園高時代に甲子園に2度出場し、1987年度ドラフト1位で広島カープに入団した川島堅さんは(49)は現在、東京都小平市で「一橋整骨院」を経営している。開業して12年。西武鉄道多摩湖線の一橋学園駅から徒歩3分のところにあり、院内にはベッド3台と電気治療の機器。壁には現役時代に川島さんが着ていた背番号21のユニホームが飾られている。

 「(院内が)あまりに殺風景なんで、大家さんから“何か飾れば?”って言われて。患者さんからは“カープファンなんですか”ってよく聞かれます」と苦笑いする。途中3時間の休憩を挟んで朝9時から午後8時まで診療。1日20人程度の患者を治療している。

 肩や肘に痛みを抱えた中高生の野球部員も訪れる。「痛み一つとってもいろんな症状や原因があります。自分も故障でも苦しみましたから、治療だけでなく、経験者の立場から“こういうふうにしたら良いのでは”と助言してあげられることも多いと思っています」

 東亜学園高時代はエースナンバーを背負い、甲子園に2年夏と3年夏に出場。しなやかなフォームは「甲子園史上、最も美しい」と称された。3年夏はチームを4強に導いた。87年度ドラフト会議で広島、阪神、近鉄の3球団からドラフト1位指名を受け、抽選で広島に入団した。

 1年目から1軍で登板。2年目の4月には甲子園での阪神戦でプロ初勝利を完投で飾った。「でも、中4日で先発した次の試合では全然体に力が入らなかった。春季キャンプから開幕1軍を目指して目一杯やってきて、やっと1勝することができたけど、もう体は悲鳴を上げていたんだと思います。そこからは坂道を転がるように落ちていきました」。

 3年目にコーチの勧めでスリークオーターに変えたが、右肘に痛みを発症。手術を受けて1年間リハビリに努めた。しかし、その後も本来の投球を取り戻すことはできず、94年オフに戦力外通告を受けた。7年間在籍したカープでは通算18試合に登板して1勝4敗。翌95年に台湾でプレーした後、現役生活に別れを告げた。

 引退後、医療者の道を選んだ。現役時代は故障を治してもらう立場だったが、「逆に治す立場はどんな感じなんだろう」と興味を持ったという。治療院で働きながら専門学校に3年間通い、柔道整復師の国家資格を取得した。07年に独立し、現在の整骨院を開業。「自分に向いている仕事だと思います。定年もないので、体が続く限りやっていきたいですね」と充実した日々を送っている。

 引退後はグラブなど野球道具を手にすることはなかったが、2年前に学生野球資格(アマ資格)回復の研修会を受け、何度か母校のグラウンドにも足を運んだ。「大した選手でもなかったので、人に教えられるようなものは何も持ってないとは思うんですが…。ちょっとでも選手のプラスになればと思い、ちょこちょことアドバイスみたいなことはさせてもらっています」。後輩たちの練習に励む姿を見ると自分の高校時代を思い出すという。

 カープ時代の思い出を尋ねると「思うようにいかなかったので苦しいことばかりだった。チャンスをもらいながら、それを生かすことができなかった」と振り返る。現在3連覇中のチームには、かつてのチームメートもいる。川島さんの2歳上の高ヘッドコーチ、1歳上の緒方監督は、ともに高卒でカープに入団、同世代で仲も良かった。「今は皆さんも忙しいと思うので連絡は取っていませんが、いつも応援しています。今年こそ日本一になってほしいですね」とエールを送った。(デイリースポーツ・工藤直樹)

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