元カープの兵動さん、競輪選手に転身10年目「気持ちはこっちの方が楽」

現役時代の兵動秀治さん
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 “ポスト正田耕三”の大きな期待を背負って、97年度ドラフト2位でカープに入団した兵動秀治さん(39)。しかし、目立った活躍はできず、6年で戦力外通告を受けた。その後、競輪選手に転身し今年10年目。野球では短命に終わったが、競輪は故障さえなければ50代でも現役を続けられる世界。現在は広島支部に所属し、「できるだけ長くやりたい」と懸命にペダルをこぐ日々を送っている。

 競輪選手としての10年を、兵動さんは「あっという間だった」と振り返る。競輪は1節3日間の開催。月2~3節に出場し、開催が終われば次節に備えて練習に励む繰り返し。「体は野球選手の頃より小さくなったと思います。競輪の方がカロリー消費が多いのかな。野球の頃は肉を食べたいと思わなかったけど、今は食べたいですから」

 野球から競輪への転向。「気持ちはこっちの方が楽ですよ」と笑う。「野球は自分の結果がチームの勝ち負けにつながるので、プレッシャーが全然違います。今は僕が広島競輪を背負って走っているわけじゃないですからね」。誰から指図されることもなく、自身が残した成績が賞金に直結する世界。「自転車や用具の調整も全部自費。これも野球にはなかったこと。仕事(レースのあっせん)は全選手平等に入るし、分かりやすい。自分に合っているのはプロ野球よりこっちかな」。現在は下位のA級2班と同3班を行ったり来たり。まだ目立った成績を挙げることはできていないが、水はこちらの方が合うようだ。

 カープでは入団2年目に正田の背番号4を受け継ぎ、大きな期待をかけられた。しかしケガが相次ぎ、6年間のプロ生活で1軍には通算46試合に出場しただけ。「カープでは(キャンプや2軍戦も含めて)使ってもらえましたから」と後悔の念はない。03年オフに戦力外通告を受け、米国や韓国でも現役続行を模索したが、うまくいかなかった。野球にひと区切りつけた頃に競輪学校の入学年齢制限が撤廃された。知り合いの競輪選手から誘われ、08年に2回目の挑戦で競輪学校への合格を果たした。

 今のカープの印象を尋ねると「僕がいたころとは全然違う。何より雰囲気が違うし、想像がつかない」という。華やかなマツダスタジアムで若い選手がのびのびと躍動する。兵動さんの時代はガラガラの旧市民球場でチームは毎年Bクラス。ムードも暗く、笑顔などありえない状況だったという。今でも年に数回はカープの試合を観戦するというが、完全に別世界のようだ。

 兵動さんの競輪選手としての目標は「できるだけ長く」続けること。広島支部の現役最年長は斎藤勝、佐古雅俊の2人。ともに60年生まれで、59歳となる今年も元気に現役生活を続けている。「落車などの事故やケガはあるけど、サラリーマンよりは楽しいし、年の近い先輩には“まだ勝負の世界にいられることがうらやましい”と言われることもありますよ」。カープでは短命だったが、新たに見つけた勝負の世界では“無事之名馬”を目指す。(デイリースポーツ・浅野将之)

 兵動秀治(ひょうどう・ひではる)1979年8月10日生まれ、佐賀県出身。佐賀商から97年度ドラフト2位で広島カープに入団。6年間の在籍で通算46試合に出場、4安打、0本塁打、2打点に終わる。日本競輪学校の入学年齢制限の撤廃を受けて、08年に同校に97期生として入学。10年1月2日に広島競輪でデビュー。同年2月12日の熊本競輪で初勝利を挙げ、12月6~8日の玉野で初優勝を飾った。177センチ、80キロ。通算獲得賞金は約6920万円。

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