世界戦に2度挑んだ元ボクサーが映像クリエイターに転身 娘のひと言で奮起
日本人同士の世界戦に2度挑み、夢破れた元プロボクサーの久田哲也さん(36)が10月に広告製作の映像クリエイターとして起業。再スタートを切った。初仕事は現役時にお世話になった後援者の企業をTikTokを使ってPR。「時間との勝負」「相手の研究」はボクシングと相通じるものがあるという。
眼底骨折しながらフルラウンドを戦い抜いた世界戦から半年。自他ともに認める”諦めの悪い男”は総てを受け入れ、広告マンとして第2の人生をスタートさせた。
「ボクシングで言うと4回戦ボーイ、いや、まだ練習生扱いですが、情熱だけは負けていません。僕を信じて仕事を依頼してもらえれば、うれしいです」
映像クリエイターとしてのスタートアップ。周囲からは起業する前にSNSを使って知名度を上げたらどうだと、勧められていたが、決め手となったのは長女・一歌さん(11)の「わたし、将来はYouTuberなるわ」のひと言だった。
「いつも”パパ、頑張れ”と応援してくれ、僕が負けると悔し涙を流していた。そんな一歌がYouTuberを目指すんなら自分がなるより、教えられるぐらいなろう、とファイトマネーの一部を払って講座に通い始めました」
いかにも子煩悩で真っ直ぐな性格の久田さんらしい決断。すぐに、元スポンサーでもある建築関連の株式会社「マグナムメイドサービス」(大阪市)に連絡を取り、契約を交わしてもらった。依頼されたのはTikTokを使った会社のPRと人材確保。相手の意向をくみとり、早速、企画書を書き上げた。すでに、撮影も完了し、12日からは会社を案内する初プロデュース動画「たがちゃんと小林」をアップしている。
「トレーナーやプロモーターは未経験ですが、どうやったらいい結果が出るか。目標を定め、相手を研究して映像という限られた時間の中で最高のパフォーマンスを出し切るのはボクシングと似ている。毎日が試行錯誤。でも、喜んでもらえると思うと元気が出る。いまは四角いリングじゃなく、小さな画面にかけてます」
いわゆるボクシングの虫に刺された男の1人。現役時代は34勝11敗2分けの戦績が示す通りの叩き上げだった。19歳でプロデビューしてから敗戦の度に何度も立ち上がった。特筆すべきは30歳を超えてから力をつけた点だ。19年10月にはWBA世界ライトフライ級スーパー王者の京口紘人(ワタナベ)に挑み、判定負け。しかし、2回に右ストレートで王者をぐらつかせ、一瞬夢を見た。
今年4月にはWBC王者で”因縁”の寺地拳四朗(BMB)と対戦した。5年前に一度は決まっていた日本タイトル戦が直前で流れ、この試合も寺地の不祥事により4カ月遅れでのリングとなった。
「言いたいことは山ほどある」。怒りを押し殺して臨んだ試合は3ラウンドに強烈なパンチを受け、その後は「左目が二重に見える状態」に。試合後は眼底骨折で5日入院したが、それでも「死に物狂いで」最後までリングに立ち続けた。
「実はもう1回、再起しようとも思いましたが、2カ月後の検査でも完全回復していなかった。”辞める辞める詐欺”もおしまい。6月下旬に家族のこと、将来を考え、引退を発表しました」
そんなボクシング人生で教えられたことも山ほどある。それらを集約すると「感動」だ。
「いつの間にか、自分が勝つことから、自分が戦うことで周りから喜んでもらえていることに気づいた。大切なのは感動できる人生。映像や動画でも感動を伝えたい。もちろん、フォロワーを増やして顧客の期待に応えていきたい」
11月13日にはハラダジムの興行の中で引退式を行う。その日は応援してもらった方々へ、新たな人生のお披露目の場ともなる。
「僕はボクサーとして2つの目標があった。世界チャンピオンになる夢は叶いませんでしたが、引退式を行ってもらえるのは誇りです。ここまでやって来たことはムダではなかった」
一歌さんの他、3歳になる双子の朱莉ちゃん、乙葉ちゃんのいるパパ。第2の人生のゴングはいま鳴ったばかりだ。
(まいどなニュース特約・山本 智行)