15年間の不妊治療 傷ついたのも救われたのも母の言葉
卓越した話術と仕切りでレギュラー番組も数多く持つハイヒール・リンゴ。いまも本業の漫才を大切にし、若手のイベントを主宰するなど姉御肌の一面を持つ。第一線で走ってきたリンゴが、お笑いやテレビ、日々の気になるニュースはもちろん、1人の女性の思いをつづる。
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今日は母の日です。私は不妊治療を35歳から15年間やって、仕事も休ませてもらった時期もあります。主治医の先生は実績も信頼もある方で、本当にありとあらゆる事を試しました。変な表現ですがやり切った感はありますね。治療中、母の言葉に傷ついたこともありました。しかし救われたのも、やはり母の言葉でした。
母は私が鉄の心臓を持ってると思ってるのか「年取ったら、子なしは寂しいで」とか、大直球で言ってきてました。もう少し思いやりあったら…私でも心折れそうになったくらいです。私には姉と妹がいますが、2人には子供がいる。母にしてみれば、私にだけいないのは寂しいやろという親心。でも当時はその親心を受け止められない。「なんで言うねん。私だって頑張ってるわ!」と反発してました。
でもそんな母は3人の娘を産み育てたけど、誰も一緒に住んでない。だから「誰もそばにいてあげられなくてごめんね」って謝ったことがあるんです。すると母は「あなたたちを育てているときは、ものすごく楽しかったのよ。幸せいっぱいもらったのよ」って。それを聞いて「ああ、そういうことなんだ」と。その“幸せ”を私にも味わってほしいという思いが直球で来たんだなって。当時は腹が立ったけど、今では親の愛情だったと理解し、感謝しています。
50歳で治療を止めるとき、心を軽くしてくれたのも母親の言葉でした。「人間、生まれるときは2人だけど、死ぬときは1人だからね」って。子どもが生まれるときはお母さんの命と一緒だから2人、でも最期は1人で死んでいく。それは子供がいてもいなくても同じだよって。その言葉が、私の心にスーッと入ってきました。母というのは、いくつになっても特別な存在ですね。
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ハイヒール・リンゴ 1961年8月9日生まれ、大阪府枚方市出身。NSC1期生。モモコとコンビを結成し83年デビュー。95年上方漫才大賞受賞。テレビでも多くのレギュラーを持ち、司会術や仕切りのうまさには定評がある。2010年から大阪学院大学で金融論を学び、名誉博士号を授与される。