私は自分の“卵”にこだわったんです
今年に入り、国内でも卵子提供による子どもが出産した。民法では第三者による精子や卵子の提供を想定していないが、厚生労働省の報告書では「卵子提供では提供者ではなく出産した女性を母、精子提供では提供者ではなく夫を父」とまとめられた。だが報告書や法的な部分ではなく、実際に不妊治療に直面した女性はどう思っていたのか。ハイヒール・リンゴが当事者の思いを語った。
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私も15年間不妊治療してきましたが、治療には段階があって人工授精、体外受精、そこから顕微授精。さらに代理母や卵子提供となりますが、これらは不妊治療でも最終的な部分になります。
そのとき交流したなかには、人工授精だけで、体外受精は自然じゃないからとやらない人がいました。顕微授精も、人為的にチョイスされて卵子の中に入れられた精子は、人間として強くないんじゃないかという考える方もいた。不妊治療している人はそれぞれ自分のラインというのがあって、そこまでして子どもは欲しくないというのはあるんですよ。
でも逆に、どんな方法でもいいから子どもが欲しいという人もいる。それが進んでいくと、他人から卵子をもらって妊娠するという方法になる。DNA的には関係がないけど、自分のお腹で10カ月育てるというものです。
私も当時は仕事を休ませてもらっていたから、海外で卵子をもらってきてもわからない。でも周りは“リンゴの子”だと思っても、DNA的には私との親子関係はない。そしてその事実は、いつか子に言わなきゃいけない。そのとき「なんでそんなものすごい“十字架”背負わなあかんねん」と思ったんです。
でも私のようにDNAのつながりがないことを“十字架”と思わない人も当然おられる。そうしたことに詳しい方に伺うと、10カ月間も自分のお腹で育てると、DNA云々じゃなく、自然と“自分の子ども”と思うようになるらしいです。
ただそのときの私には、卵子提供を受けるという選択肢はなかった。自分の“卵”にこだわったんです。それならば、まだ代理母の方が私は考えられた。自分とDNAつながっている子を、誰かに産んでもらうって方がよかった。でもくどいようですが、この問題に正解は無いと思います、各々の考え方ですから。
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ハイヒール・リンゴ 1961年8月9日生まれ、大阪府枚方市出身。NSC1期生。モモコとコンビを結成し83年デビュー。95年上方漫才大賞受賞。テレビでも多くのレギュラーを持ち、その司会術や仕切りのうまさには定評がある。10年から大阪学院大学で金融論を学び、名誉博士号を授与される。