「水曜どうでしょう」を作った男(2)
「勝負は勝つか、逃げるかだよ」
この言葉は深夜バラエティ番組『水曜どうでしょう』ディレクター・藤村忠寿氏の言葉である。
50歳を越え、いまだに熱烈なファンを増やし続けるお化け番組を生み出したディレクター・藤村忠寿とは、一体どういう人物なのか?藤村氏が制作していた番組、実は記者も大ファンではあったが、テレビ局に属する一般のサラリーマンとなれば、取材することもないと思っていた。
だが、その機会は向こうからやってきた。彼が『藤村源五郎一座』という一座を率いる座長として、時代劇芝居の興行をするというからだ。
第一印象は『良く笑う人』というか、よく笑うおっさんである。ガハハッ!と大きな声で笑い、それほど高いはずではない身長でも彼が笑うとなぜか大きくみえる。胸襟が大きく首が太い。聞けば元ラグビー経験者らしく、そのように聞けば成る程といえる体形である。
この体形を、番組出演中のあの大泉洋が『お前ゲンゴロウみたいだな』といじったのが一座の名前の由来らしい。最初はなぜか人懐っこい感じの笑顔も、本番前の集中している姿は実に厳しい目を一座の座員に向けている。「いや、もっと良くなるんじゃないかと思ってね」と真剣そのもの。芝居の、それも座長として、どのようにすれば、良くなるか、面白いものをお客さんに届けることができるかを考えている。
重ねて書くが、彼は地方テレビ局に属する一テレビマン。だが、同時に“ヒットメーカー”である。また、この一座には、同じく番組制作をしていた嬉野雅道氏も講談師というか、講釈師として参加している。「嬉野さんがね、良いんだよ。彼がウチの舞台を分りやすく話してくれると、お客さんが楽に物語に入って楽しめるんだよね。あの人に任せておけば大丈夫な感じというか、安心感があるんだ」と藤村氏。
-番組作りと変わらないコンビという感じなのか?
「うん。まぁ、そうなんだけど、何かウチ(一座)は全員がそういう感じがあるんだよ。それぞれが、自分のやるべきことを勝手にやってる感じって言うのかな。それが、本当に心地良いんだよ」
-なぜ、今芝居を、それも一座を率いて舞台をすることにしたのか?
「俺ね、負ける勝負はしないことにしててね。舞台っていうか、こいつら(座員)との芝居、時代劇に可能性を感じたんだよ。これは勝つ気がするんだよな。それはね『(水曜)どうでしょう』を撮ってるときにも在った感じなんだよ」
そう語る彼の笑顔は間違いなく、これから勝負に挑もうとする挑戦者の顔でもあった。
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藤村 忠寿(ふじむら・ただひさ) 1965年5月29日、愛知県新城市で生まれ、名古屋市出身の50歳。北海道大学法学部卒業後、北海道テレビ放送(HTB)に入社。1996年10月に放送開始の『水曜どうでしょう』のチーフデレクターに就任、当時無名だった大泉洋を起用した番組は瞬く間に人気を博した。北海道の番組ながら全国にファンを増やし、台湾やアメリカでも放送されるよううになった。その後も数々の番組で賞を受賞する一方、今年の5月に大阪で活動する時代劇パフォーマンス集団『笑撃武踊団』とコラボした『藤村源五郎一座』を立ち上げ、東京、大阪、札幌と相次いで公演を行い、大成功を収めている。