「水曜どうでしょう」を作った男(3)
ローカルテレビ局から生まれた伝説のヒット番組『水曜どうでしょう』の制作ディレクター・藤村忠寿氏。番組終了から13年が経ったが、いまだその人気は衰えを知らない。コンビニなどを通じ、DVDはもちろん、番組内の出演者やキャラクターのフィギュアまで変わらぬ人気を維持し、絶好調に販売されつづけている。
そこまでの番組を生み出し、今やテレビ業界内で知らない人はいないとまで言われる彼が今度は舞台、それも座長として一座を率いて時代劇に取り組み、すでに東京、大阪、札幌と回って公演を続けている。テレビマンの彼が仕掛ける時代劇とは一体…さっそく稽古場に行ってみた。
すると、稽古場で今、正に立ち回り(いわゆる殺陣)をしながら、大汗を搔いている藤村氏がそこにいるではないか。真剣に刀を振り、彼に指導をしているコラボする『笑撃武踊団』の藤澤アニキ氏と共に動きまわっていた。
失礼ながら、年齢も50歳を越え、大物ディレクターである彼がそんな風に動いているとは想像外。稽古の合間に彼に幾つか質問をぶつけてみた。
-殺陣(たて)もされるんですね?
「うん。やるよ。今度は戦国物をやるからね。アニキが教えてくれるんだけど、分りやすいんだよ。やってみて分ったことが、相手の刀を見るんじゃなくて、相手本人を見てやるんだよ。いやぁ、知らなかったね」
-番組などは、どうされているの?
「そりゃあ、やってるよ。編集ももちろん続けてるしね。他にも色々とやらなきゃならない事もあるんだよ。サラリーマンだから」
-確かにそうですね。稽古の時間等はどうしてるんですか?
「有休を使って大阪で稽古して、土日とか祝日なんかも上手くはめ込んでやってるよ」
-本気で芝居されているのですね?
「本気というか、あれだよ。部活をやってる感じって言うのかな?真剣に成れるっていうか、とにかく楽しいんだよ。だから続けられるんだ」
-これからも芝居を続けて行くんですか?「やっていきますよ。俺はね、時代劇っていうものに可能性を感じるんだよ。映像も、もちろん撮っていくけど、何ていうのか、お客さんが目の前にいてそのまま反応が返ってくるのが良くてね、やっぱり面白いんだよ」
-時代劇の可能性とは?
「俺らが子どもの頃って、木の棒とかで遊んだりして、それだけでワクワクしただろ?あれ、やっぱり刀を持つと分るんだよ。今でもワクワクするし、熱中できる。それは、俺が日本人だからなのかもしれないし、着物とか着ると、やっぱりここでも気が引き締まるんだよね。今、そういうの少ないからさ、お客さんも見るときっとワクワクすると思うんだよ。そういうものに、俺は可能性を感じるんだよね」
-得難いものを得たという感じ?
「うん、そうだね。芝居だけじゃなくて、こいつら(座員)を得たことが大きいよな。それこそ『どうでしょうを始めた時の大泉を番組に出した時に似てるんだよ。あいつはやっぱり天才だなって思うからね。こないだ久しぶりに呑んだんだけど、やっぱりそこでの関係性はあの頃のままだし、本当の戦友を得られたんだな、って感じたよ』
-楽しみが増えたと?
「増えたね。『どうでしょう』のこともテレビのことも芝居も、これからも面白いって感じたものには色々と攻め続けていくと思うよ、俺は」
芝居の事を生き生きと話す藤村氏は、まるで子どものように笑って答えていた。大泉洋もこの笑顔にほだされたのだろう。“50歳の少年”は、これからも自身のワクワクを様々な手段で全国のファンに届けていくつもりのようである。