ハンマーパンチ藤猛氏、再び日本リングに
60年代前半、豪快なハンマーパンチと「ヤマトダマシイ」などたどたどしい日本語で一世を風靡(ふうび)した日系3世のボクシング元世界王者、藤猛(75)が日本のリングに帰って来る。エルコンドルベロスジム(東京)の特別トレーナーとして、今後はセコンドにもつく予定だ。往年のファンには懐かしいブルファイターの大和魂は健在だった。
今も語り草の世界王座奪取から48年、「ハンマーパンチ」の藤猛は75歳になっていた。口ひげは白いが、血色よく健康的だ。
「元気よ。毎日運動しているし、自転車乗ってる、歩いている」
東京・馬込のエルコンドルベロスジム(※1)に特別トレーナーとして籍を置く。6月までは茨城・水戸で子供を中心にボクシングを教えていたのだが…。
「赤字だった。4カ月家賃払ってなかった。僕は経営者じゃなかったけど、保証人していたから」
日本ボクシング協会に所属せず、12年間続けたジムが破綻。さすがに寂しそうだが、ボクシングを介して子供らと触れあった日々は財産だ。
「いじめられる子、弱い子いる。僕、大きい声出して教えるよ。何やってるの!って。最初は(大声に)泣いている子が、泣かなくなる。自信を持つ。だから、ジムじゃなくスクールだったね」
引退後、ハワイに帰国。96年に再来日し、いわき協栄ジムの会長を務めたが、活動する間もなく退任。水戸での活動を経て今回、縁あってエルコンドルジムに誘われた。プロのセコンドにつけば、引退後初めてとなる。
「コーナー初めて。(開)会長、リングの中入るよ。僕、水渡すね」(笑)
藤猛の現役時代の映像は、動画サイトのユーチューブなどでも見ることができる。体を「∞」字型に揺らし、左右のフックを振るう猛烈なデンプシーロールは、今も新鮮だ。
「僕の、ケンカボクシングね。兵隊、僕マリンコ(海兵隊)。一番荒っぽいの。大変、フツーじゃない、弱い人できない」(笑)
日本で除隊後、同じハワイ出身のエディ・タウンゼントトレーナー(※2)を訪ね、リキジム(※3)でプロライセンスを取得した。ハワイ生まれの日系3世が発した「大和魂」は、時代に熱烈に支持され「勝ってもかぶってもおしめよ(勝ってかぶとの緒を締めよ)」は大いに受けた。藤の思い入れが深いのは、世界王者になった勝利者インタビューの「岡山のおばあちゃん見てる」だった。
「試合前、TBSのアナウンサーに聞いたの。『勝ったら岡山のおばあちゃんにあいさつできる?約束よ!』。約束守ってくれた」
68年12月12日、2度目の防衛戦でニコリノ・ローチェ(アルゼンチン)に10回、コーナーを立てず王座陥落した。交通事故の後遺症、調整失敗でパンチが当たらず完敗だったが、親指が自由に利くグローブによるサミング(目つぶし)にやられたという。
「ローチェ、グローブの親指ノーナイ(縫わない)。彼、サミングうまい。専門。みんなローチェは汚い、って言ったけど、逃げなかった。10回、僕もう目が見えない。でも、後悔していないね」
9人の世界王者が君臨する現在の日本ボクシング界。藤が注目する選手は。
「ワタナベジムのスーパーフェザーチャンピオン、だれ?内山、彼いい左持っている。右利きでしょう?左フックがいい。アメリカンフック」
絞った左肘を、内側に送った左膝とシンクロさせて打つ動作を繰り返してみせた。
「これ、日本人できない。それからロンドン五輪金メダル取った…村田?彼も左フックうまい。一回見れば分かる。僕、やる前からメダル取る言っていた。終わったらみんな『藤さん、目がいいね』って」(笑)
世田谷の自宅で一人暮らし。長男家族が近くに住み、日本人の夫人と次男、長女家族はハワイで暮らす。
「奥さんはハワイ好き、僕は日本がいい。自炊してます。ずっと日本にいますね」
大和魂は今も健在ですね-。
「そう。子供たちが持ってないと、それ(大和魂)なくなるダメ。自分で身を守るの。ボクシングも同じ」
強打でならした元世界王者のハートは、今なお熱かった。
◇ ◇
※1 14年9月開業。開行憲会長。前身は元日本ミニマム級王者ロッキー・リンを生んだロッキージムで、コンドルタクシーグループに経営権が移った。主な選手は日本スーパーフライ級12位中川健太。東京都大田区北馬込2の15の30、TEL03・6429・7921。
※2 ボクシングの名トレーナー。1914年、米国人の父と日本人の母の間にハワイで生まれる。64年、力道山に請われて来日。藤猛を皮切りに、海老原博幸、柴田国明、ガッツ石松、友利正、井岡弘樹を世界王者に育て上げた。88年没。
※3 リキボクシングジム。日本プロレスの父・力道山が62年、ヘビー級ボクサー育成を目的に東京・渋谷の総合レジャービル「リキパレス」内に設立。力道山は藤猛入門前の63年12月に他界した。