世界初挑戦の原隆二 超人?変人?

 「IBF世界ミニマム級タイトルマッチ」(9月27日、大阪府立体育会館)

 同級12位で、元東洋太平洋同級王者の原隆二(大橋)が、高山勝成(仲里)の持つ王座に挑戦することが28日、横浜市内の大橋ジムで発表された。原は世界初挑戦。

 原は「正直、決まると思っていなかった。会長に感謝します。高山選手は化け物のようなスタミナの持ち主で手数も多い。技術では自分が勝っていると思うのでしっかり練習して勝ちたい」と必勝を誓った。

 マジメな外見と言動からは想像できないが、原はエピソードの宝庫だ。

 12年5月、試合当日の昼、アップのランニング中、信号無視して車道に飛び出したところを車にはね飛ばされた。頭と左腕から流血するケガを負いながら会長らには事故を隠して出場し、タイ人選手をKOした。

 「はねられてゴロゴロ転がりました。血がいっぱい出たけど、病院は試合後に行きました。ケガより(事故がばれて)怒られる方が怖かった」と言う原の頭部には小指の爪ほどの傷が今も残っている。「(表皮が)削れてしまうと生えてこないんだそうです」と苦笑いだ。

 この事故以来、左が強く打てずに長いスランプに陥ったが、昨年の田中恒成戦が転機となった。東洋太平洋王座を陥落したが、直後に世界王者となった田中と互角に戦った。大橋会長は「負けたけどいいできだった。復活して、今が一番いい」と太鼓判を押した。

 身長155センチ、ベビーフェースで控えめな性格。先日、ジムで小学校4年生から「マス(ボクシング)、やってくれますか?」とリングに上げられた。大橋会長は「同い年と思われちゃったのかな?」と笑いをかみ殺した。

 中学2年から始めたボクシング。通っていた伊東のジムで合宿した大橋ジムの世界王者・川嶋勝重に憧れ、必死でロードワークについていった。高校では4冠達成という輝かしいキャリアを誇りながら卒業すると競馬学校に入学。

 「知り合いの紹介でした。収入も安定しているということだったので」

 幼くして父・敬治さんをガンで亡くした(享年47)。原は4人兄弟の末っ子。母・見子(ちかこ)さんが焼き鳥屋を切り盛りする姿を見て、何とかしたいという思いだった。しかし、それで何とかなるほど甘くない。

 「全然だめで8カ月で辞めました。全く興味がなくて、とにかく馬に乗るのがヘタだった。減量もキツイですよ。毎日、47キロをキープしなければいけない」と、ギブアップ。ボクシングの世界に戻ることを決意し、大橋ジムに入門した。

 中学時代から原を知り、日本、東洋太平洋王者に育てた大橋会長は「変わってるんだよ。世界戦が決まってんのに、午前も午後も寝坊して来ないんだよね。夜は10時までやっているのに。隆二に言ったの、勝てば大物だけど、負けたら変わった人で終わっちゃうよ」と、あきれたような言葉を並べながら、ニコニコしていた。大橋会長は世界王座獲得を確信している。

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