上原拓哉6回TKO勝ちユース王座初防衛 世界初挑戦の同郷・比嘉につなげた
「デイリースポーツ後援・ボクシング・WBCユース世界フェザー級タイトルマッチ」(7日、メルパルク大阪)
WBCユース世界フェザー級王者で東洋太平洋同級4位の上原拓哉(21)=アポロ=が挑戦者でタイ同級1位のノーンディア・ソーバンカル(22)=タイ=を6回2分6秒TKO勝ちで退け、王座を初防衛した。戦績は上原が12戦12勝(7KO)、ノーンディアが30戦17勝(4KO)13敗。
上原は序盤からボディー中心の攻撃で挑戦者を圧倒。4回の公開採点ではジャッジ3人が40-36で上原を支持した。6回にロープダウンを奪うと、棒立ちの相手に左右の連打を浴びせ試合を終わらせた。「詰めが甘い」と反省が口を突いたが、3試合ぶりのKO勝ちには「うれしいです」と素直に笑みを浮かべた。
今朝目覚めた時には「早く戦いたい」と気持ちがはやり、「危ない雰囲気かもしれない」と不安も頭をよぎったと言うが、「リングに上がれば冷静になれた」と落ち着いて練習の成果を披露した。同ジムの度紀嘉男会長(66)によると、4月に右膝を痛めた影響で約20日間走れない期間があり、調整不足も心配されたが杞憂に終わった。
沖縄・南風原(はえばる)町出身。20日にWBC世界フライ級王座に初挑戦する、沖縄・浦添市出身で県立宮古工高卒の比嘉大吾(21)=白井・具志堅スポーツ=とは同郷、同学年のライバルだ。高校時代から試合や県の代表合宿で顔を合わせてきた間柄で「一度、マスボクシングをやっていたらお互いガチになって、(比嘉に)もらったパンチがすごかった」と思い出を語る。比嘉が千葉合宿を行っていた4月上旬には「LINE」で連絡を取って健闘を誓い合った。危なげない勝利で比嘉の世界奪取につなげた形となった。
上原は14歳だった09年11月に内藤大助-亀田興毅のWBCフライ級王座戦をテレビで見て「心に響くものがあった」とボクシングに魅せられた。那覇市内の奥武山(おおのやま)ボクシング会館まで自転車で通いながら練習を重ね、ボクシングの「奧の深さ」にのめり込んでいった。
県立南風原高2年時には新潟で行われた全国高校総体に出場したが2回戦敗退。3年時は右肘を痛めた影響もあり県予選敗退に終わった。高校卒業後、一度は沖縄で就職してボクシングから離れたが、夢を捨て切れなかった。沖縄出身でアポロジムOBの知人を介して同ジムへの入門を決意。14年5月に単身大阪へやって来た。朝5時半に起床して8キロのランニングを行った後、午前10時から午後5時までラーメン店に勤務し、夜はジムで練習に打ち込む日々を送っている。
元東洋ジュニアライト級王者の度紀会長の秘蔵っ子。度紀会長は現役時代、アポロ嘉男のリングネームで一世を風靡し、軽快なフットワークの技巧派として名をはせた。引退後はトレーナーとして渡辺二郎氏のWBA世界ジュニアバンタム級王座獲得(87年)に尽力し、西日本ボクシング協会会長も務めた。上原は目標のボクサーに度紀会長の名を挙げ「会長のボクシングを吸収したい」と研鑽を積む。
今後のプランについて、度紀会長は「タイミングを見て、日本か東洋太平洋(のタイトルを)目指したい」とした。焦らず着実に実力を積み上げ、会長が3度挑み、叶わなかった世界王者の夢を実現する。