京太郎が語る K-1から日本初世界ヘビー級王座挑戦へ
今回の拳闘クラブはアジア人として初の東洋太平洋ヘビー級王者となった藤本京太郎(30)=角海老宝石=を直撃した。きょう8日、後楽園ホールで初防衛戦とWBOアジアパシフィック同級王座決定戦(JBC未公認)を行う。この試合に勝てば、日本人として初の世界ヘビー級王座挑戦も現実味を帯びてくる。型破りで計り知れない-京太郎とはこんな男だ。
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-東洋太平洋の初防衛戦が、WBOアジアパシフィック王座決定戦とのダブルタイトル戦となった。勝てば日本王座と合わせてアジア3冠となる。
「ずっと目標にしていた東洋が取れたので、練習に向く姿勢になかなかなれなかった。試合が決まってそういう気持ちになった。WBOアジアは、取ったら(世界)ランキングが上がると思うくらい。ベルトも家の中に物が増えるな、くらいの感じ」
-東洋太平洋のベルト獲得は大きかった。
「達成感。一つ成し遂げたことがうれしかった。東洋(王座)は日本人だけヘビー級を取っていない。だれもやっていないことをやりたかった。6年前にボクシングに来てからずっと取ると決めていた。世界的に見ても東洋(の評価)はそんなに高くないですけど、よしとしたい」
-挑戦者のパーセルについて。
「相手のビデオは基本的に見ないのでよく分からないんですね。1ラウンド見ただけで、多分こんな感じなんだろうな、くらい。結局、自分なんですよね。どれだけ練習して、どこまで仕上がったかなので」
-どんな試合運びを考えている。
「考えてないです。気持ちを前面に出すタイプではないし、体が勝手に動くようになれば本当に勝手に動くので」
-本能で動いているのか。
「そうです。(動くタイミングが)いつ来るのか分からないので怖いといえば怖いけど、今までそれでやってきた。(パーセルと)体格はそんなに変わらないし、スピードと距離感がしっかりしていれば12ラウンドあるので倒せると思う。ここはしっかり倒したい。12ラウンドの中で詰め将棋でいければと思う」
「本能」と「詰め将棋」が同じ文脈の中に出てくるところが京太郎の底知れない部分だ。
-今回、世界戦の話(※1)もあったそうだが。
「パーカーと関わりのあった中で話をいただいたようです。都合が合わず、今回は僕よりランキングが一つ下の選手と試合をする。パーカーが勝つと思うし、なるべく早く東洋人初のヘビー級世界戦ができればいい。僕自身、挑戦する資格があるのかとも思うけど、ランキングに入っているし、まだ伸びると思う」
-日本人選手の世界ヘビー級戦が実現すれば大変なこと。
「30歳になったし、ボクサーとしてちょうどいい年齢を迎えていると思う。ファイトマネーもすごいし夢はある。どの団体も世界ランカーはみんなバリバリ強い。よく穴の世界ランカーというけど、ヘビー級にはいない。そんな中でアジア人としてやっていきたい」
-日本のヘビー級を支えてきた自負か。
「僕からしたら人がやっていないからやっている。面白いというのはあるけど周りの人がどう思っているかは分からない。自由な性格なので、オレがオレがと引っ張っている感じではない。日本のボクシングは軽量級が天国なのでね。(重量級が)必要とされているのかどうか、ですよね。ただ、好きでやっているし、やるべきことをやってきた。世界ランカーに入って、日本タイトルを復活させて、東洋を取った。でも、日本人にとってヘビー級は難しい。運動神経的にも、スピード的にも。外国人を呼んで試合をするのも難しいし、スパーリングパートナーはいないし、海外へ行くとお金がかかる。難しいんじゃないか、普通の人が目指すのは」
-そういう中で世界挑戦が現実味を帯びてきた。
「正直、通用するかもしれないけど甘い世界じゃない。今の世界チャンピオン、何人かいるけど。僕と身長は変わらないし、体重も軽いかもしれないけど世界ランカーの中で僕が一番弱いかもしれない。ほとんどの選手がスタミナあるし、足は使えるし、打ち合うという世界じゃないんで。テクニックで勝負してくる。すごい世界だと思いますけど、自分で決めたから逃げられない。応援してもらっているし、体がどうなってもやりきる義務がある。やると決めたのでやり遂げたいな、と」
-目標とする選手は。
「だれも目標にしたことがない。ボクシングもまったく見ないんで。クリチコ、ワイルダーもYou Tubeで1ラウンド見たか見ないかくらい。ジョシュアもタイソンも見てないですよ。強いんで見てもしょうがない。リスペクトはしますけど、まねはしない。好きなボクサーまったくいないです。格闘家にもまったくいない」
-格闘技の道を選んだのは。
「3歳から小学校5年まで空手をやっていた。両親が離婚して母方に移って、何かやろうと。自分が恵まれていないの分かっていたし、ボーッとしている性格なので高1のとき、このままではやべーなと気づいて人生考えるんですね。コンプレックスも強かったから。この先10年後、15年後、どうなってんだろうと思った。頭のいい子、かっこいい子に10年後勝つには、テレビに出るしかないと思ったんです。関西から上京してお笑い芸人もある、俳優もある。けど圧倒的にライバルが多いじゃないですか。そのときちょうど武蔵さん(※2)が引退して。テレビに出るならそこが一番近いんじゃないか、日本人が少なかったし。当時爆発的に人気があったんです。それで決めたんです」
-格闘家は天職か。
「母とおばあちゃんと姉二人で、僕以外は争いの絶えない家だった。そういうのを見て育ったので争い事は嫌いだった。格闘家っぽくない性格ですよ。K-1のときから相手を憎んだり、ぶっ倒したいと思ったことはない。ただ、末っ子でコンプレックスの強かった僕がK-1に出て変われたので感謝している。勝って周りの人から認められるのが一番うれしい。人生でやりたいことが決まらない人が多い中で高校1年で決められたのは幸せだった。そこからプロとして10年やってきてありがたい話です。恵まれていますね。こんないい職業はないですよ」
-ところで「京太郎」は本名だそうだが、いわれは。
「何だと思います?日本で一番有名な『京太郎』ってだれだか分かります?ミステリー小説の西村京太郎。おやじが好きだったみたいで、家にいっぱい本があったんですよ。後々題名を見たら『殺人もの』ばっかりじゃないですか。どこを見て付けたのかな。僕は一回も読んでいないし、ドラマも見たことないけど、西村京太郎さんの知名度を超えたいというのが夢なんです」
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※1 WBO世界ヘビー級王者ジョセフ・パーカー(ニュージーランド)の初防衛戦(6日)の相手、ヒューイ・ヒューリー(米)が負傷のため試合をキャンセル。代替選手候補の1人に京太郎が入ったものの事務手続きなどが間に合わず断念した。
※2 1972年10月17日、堺市出身の元空手家、キックボクサー。95年3月K-1デビュー。K-1の中心選手として活躍し09年に引退。