ジャイアント馬場さん夫人・元子さん死去 全日本秋山社長、大仁田厚氏らショック
全日本プロレスは23日、故ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で元社長の馬場元子さんが14日に肝硬変で死去したと発表した。78歳。19日に通夜、20日に告別式が親族のみで執り行われた。関係者によると、元子さんは肝臓を悪くして17年6月に入院。一時は回復したものの、14日に容体が急変し、都内の施設で息を引き取ったという。
全日本プロレスの母が、馬場さんのいる天国へ旅立った。元子さんは兵庫県明石市出身で、15歳で当時プロ野球・巨人の投手だった馬場さんと出会い、その後に結婚。一人のレスラーとして、全日本の初代社長として奮闘する馬場さんを最後まで献身的に支え続けた。外国人選手の面倒見の良さでも知られた。
1999年1月に馬場さんが亡くなり、2000年には故・三沢光晴さんらほとんどの全日本所属選手が「プロレスリング・ノア」に移籍する危機に見舞われたが、元子さん自ら全日本の社長に就任。天龍源一郎を復帰させ、新日本プロレスから武藤敬司らを迎え入れるなどして経営を立て直し、苦しい時期を乗り越えた。
その後、02年に社長職を退いたが、14年からの秋山準社長体制を支えるなど、最後まで馬場さんが作り上げた全日本を見守り続けた。秋山社長はツイッターで、「親族の方が大切なシリーズ中なのでシリーズ後にお知らせをと思っていたらしいのですが…今朝お聞きしました。残念です。ご冥福をお祈り致します」と哀悼の意を表した。
全日本の新弟子第1号で、馬場さんの付き人を務めていた元プロレスラーの大仁田厚氏も死去を知り、ショックを隠さなかった。
「両親が離婚した自分にとって母親みたいな人。夫婦げんかを何度も見たし、養子にも誘われたし、ボクが全日本をやめるときにはわんわん泣いていた。馬場さんが亡くなったときには電話をくれて、『お葬式には来てもらえないかもね』と言われてね」
故人との思い出を振り返りつつ、「ひと月ほど前、病院へお見舞いに行って、めいっ子さんとお話ししたけど、面会はできなかった。お葬式とかも全部済んでいるし、そういうのも元子さんらしいね」。寂しげな表情を浮かべ、全日本プロレスの看板を必死に守り続けてきた功労者との別れを惜しんだ。