蝶野正洋が振り返る平成プロレス 昭和のテレビ型から興行型へ猪木さんの置き土産

 オイ、テメエら、プロレスラー・蝶野正洋だ!もうすぐ平成も終わる。と言うことで、平成とともにプロレス人生を歩んだこのオレがで平成のプロレスを振り返ることになった。ちゃんと読めよ、ガッデム!

  ◇  ◇

 今回は昭和プロレスと平成プロレスの違いを説明しよう。結論から言うと、昭和はテレビ型、平成は興行型ということ。平成元(89)年はまさに区切りの年だった。

 オレは84年に新日本プロレス入団して87年に海外武者修行に出たが、新日本はクーデター(83年にアントニオ猪木社長らが退任。後に復帰)とかがあってグチャグチャになっていった。離脱していった前田日明さんのUWF、長州力さんのジャパンプロレスが昭和の最後の頃に戻ってきたけど立て直せなくて、テレビ中継もゴールデンタイムを外されてしまった。

 そして、社長が猪木さんから坂口征二さんに代わったのが平成元年。猪木さんは最後の置き土産に興行型のドームプロレス(89年4月に史上初の東京ドーム大会開催)を残していったんだ。ゴールデンタイムの放映権料を失って経営をどうするのか。新日本は大所帯になっていたので選手をばっさり切るのが普通だけど、猪木さんはやらないで興行型へ進んだ。みんな絶対無理だと反対したし、オレも海外から帰って、いきなりドームと言われてビックリしたよ。でも、やってみたら超満員。そこからテレビに依存していたプロレス業界は興行型へ進んでいったんだ。

 今振り返るとそう言えるけど、当時は全然分からなくて、オレたちのスローガンは「ゴールデンに戻りたい」だった。なんでゴールデンをつないでくれなかったんだと。三沢社長(ノアの故三沢光晴さん)とか、同世代はみんな一緒だったと思う。ゴールデンだと名前が売れたけど、夕方とか深夜の放送だと業界外に名前は売れない。だから、バラエティー番組とかに積極的に顔を出そうというのは、オレらから始まったし、そういう努力をしたんだ。

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