猪木氏 デストロイヤーさんは「努力に裏打ちされたプライド感じた」日米で死闘

 アントニオ猪木氏(左)と握手を交わすザ・デストロイヤー=2006年撮影
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 日本でプロレスブームを巻き起こした立役者でもある“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー(本名・リチャード・ベイヤー)さんが7日(日本時間8日)に亡くなったことが分かった。88歳。息子でプロレスラーのカート・ベイヤーさんが自身のフェイスブックで明かした。かつてデストロイヤーさんと死闘を展開したアントニオ猪木参院議員(76)は8日、「同世代のレスラーとして心よりご冥福をお祈りする」と追悼した。

 猪木議員は「ザ・デストロイヤー選手は、身体はそれほど大きくはなかったですが、非常にテクニックがあって、私の師匠である力道山先生もかなり苦戦したことを強く覚えております」と回想。

 「その後、私自身も戦う機会がありましたが、体格のハンディを物ともしない努力に裏打ちされた一流レスラーとしてのプライドを感じました」と、肌を合わせた者同士だからこそ分かる感覚も明かし、「同世代のレスラーとして心よりザ・デストロイヤー選手のご冥福をお祈り致します」と悼んだ。

 力道山やジャイアント馬場のライバルという印象が強いデストロイヤーさんだが、猪木議員とも若手時代から関係は深く、1964~66年の米国武者修行中にロサンゼルスやヒューストンでたびたび対戦している。

 LAでは64年7月にタッグマッチで初対決し、8月にはシングルで引き分け。9、10月にはミスター・モトと組んでデストロイヤーさん、ハードボイルド・ハガティ組のWWA世界タッグ王座に挑戦している。

 ヒューストンでは65年8月、デストロイヤーさんが鉄人ルー・テーズに挑戦したNWA世界ヘビー級選手権試合でプロレスに開眼。10月にはデューク・ケオムカと保持していた世界タッグ王座にデストロイヤーさん、ビリー・レッド・ライオン組が挑戦し、時間切れ引き分けの死闘を演じている。

 日本プロレスではインタータッグ防衛戦などでたびたび激突した。71年5月、ワールドリーグ戦の優勝決定トーナメント1回戦では猪木議員がデストロイヤーさんと引き分けで両者脱落。アブドーラ・ザ・ブッチャーを破った馬場が優勝したが、その後、猪木議員が馬場に挑戦を表明し、半年後に日プロを追放されて72年に新日本プロレスを旗揚げする契機となった。

 デストロイヤーさんは2007年、猪木議員が主宰していたプロレス団体「IGF」の12・20有明コロシアム大会で立会人を務めるなど、近年も交流があった。

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