デストロイヤーさん追悼 猪木「努力に裏打ちされた一流」
「ザ・デストロイヤー」として日米で活躍したリチャード・ベイヤーさんが7日、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で、88歳で死去した。“白覆面の魔王”デストロイヤーさんの死を、ゆかりのある大物レスラーらも惜しんだ。対戦経験のあるアントニオ猪木(76)は8日、「同世代のレスラーとして心よりザ・デストロイヤー選手のご冥福をお祈り致します」と追悼。ともに全日本プロレスで活動した大仁田厚(61)はデイリースポーツの取材に、デストロイヤーさんの優しい人柄を物語るエピソードを明かした。
猪木は60年代中盤の米国武者修行時代にデストロイヤーと度々対戦。日本でも71年5月19日に日本プロレスの「ワールドリーグ戦」優勝決定戦で対戦して引き分けるなどの激闘を繰り広げた。
ライバルの死にコメントを発表し、「ザ・デストロイヤー選手は、身体はそれほど大きくはなかったですが、非常にテクニックがあって、私の師匠である力道山先生もかなり苦戦したことを強く覚えております」と絶賛。「その後、私自身も戦う機会がありましたが、体格のハンディを物ともしない努力に裏打ちされた一流レスラーとしてのプライドを感じました。同世代のレスラーとして心よりザ・デストロイヤー選手のご冥福をお祈り致します」とつづった。
デストロイヤーさんが日本陣営の助っ人として参戦したのと同時期に全日本プロレスの新弟子第1号となったのが大仁田。この日、本紙の取材に応じ、「身長は180センチないぐらい。大きくない体を大きく見せることを教えてくれた。関節技もうまくて、それはグラウンドに持ち込んで体格差が分からないようにするためだった。『常にベストコンディションでいないといけない』と、体調管理もすごかった」と記憶を振り返った。
また、巡業中は旅館に泊まり、浴衣を着て、布団で寝るなど日本になじむ努力をしていたという。マスクは試合用と普段用で1日2枚、巡業の日数分の替えを持っていたとのことで、「ある日、洗濯を頼まれた時に1枚なくなったことがあったけど、デストロイヤーさんは怒らなかった」と、優しい人柄を物語るエピソードも明かした。最後は「あの頃の全日本でデストロイヤーさんの存在は大きかったですよ」と寂しげに話した。