ザ・デストロイヤーさん死去、88歳 力道山と壮絶死闘、視聴率64%歴代4位
覆面のプロレスラー「ザ・デストロイヤー」として日米で活躍したリチャード・ベイヤーさんが7日、米ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で、88歳で死去した。息子のカートさんがフェイスブックで明らかにした。死因は明かされていない。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木らと死闘を繰り広げ、後年はタレントとしてお茶の間を沸かせた人気者。日本国民に愛され、日本を愛した、まさに不世出の覆面レスラーだった。
昭和の日本マット界を席巻し、空前のプロレスブームを巻き起こした「白覆面の魔王」が、天国へと旅立った。88歳。ニューヨーク州北部バファロー郊外の自宅で、息子のカートさんら最愛の家族に見守られ、静かに息を引き取った。
ザ・デストロイヤー。破壊者というイメージにふさわしい凶暴ファイトを日本で初めて披露したのは、東京五輪前年の1963年。覆面レスラー初の世界王者として初来日し、5月24日に東京体育館で行われた力道山との防衛戦で強烈なインパクトを残した。
容赦ない凶器攻撃で血ダルマにし、得意の「足4の字固め」で執拗(しつよう)に脚を攻め立てた。最後はレフェリーが靴を脱がせてやっと4の字を解き、互いに立ち上がれない中でレフェリーストップ。力道山も「他の技はどれもこれも下手だが、4の字固めだけはめっぽう強い」と脱帽した。まだカラーテレビが珍しかった時代。モノクロの世界で展開された28分15秒の死闘ドローにお茶の間はくぎ付けとなり、視聴率は今も歴代4位として残る64%を記録した。
183センチ、120キロとレスラーとしては体格が大きい方ではなかったが、俊敏で基礎技術が高く、後にはジャイアント馬場、アントニオ猪木とも名勝負を繰り広げた。当時外国人レスラーは悪役が多かったが、子供たちが4の字固めをこぞってまねるなど絶大な人気を誇り、いつしか正統派に転向した。馬場とは盟友関係となり、旗揚げした全日本プロレスにも継続参戦。70年代にはテレビ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」で和田アキ子らと共演し、コミカルな振る舞いで笑いを誘い、人気タレントにもなった。
米シラキュース大ではアメリカンフットボールの花形プレーヤーも、大物プロモーターのスカウトを受けて54年に本名でプロレスデビュー。以来8年間、素顔で活躍していたが、62年に突如、妻手製の覆面をかぶってザ・デストロイヤーとしての活動を開始した。その理由はいまだに謎とされている。正式なリングネームは「インテリジェント・センセーショナル・ザ・デストロイヤー」。まさに知的で、鮮烈な印象を放った唯一無二の覆面レスラーだった。