猪木問答「明るい未来が見えません」に吹き出した 蝶野正洋が振り返る平成プロレス
もうすぐ平成が終わる。平成とともにプロレス人生を歩んできたプロレスラー、蝶野正洋が平成のプロレスを振り返った。今回は新日本プロレスが危機的状況を迎えていた2002(平成14)年、北海道立総合体育センターで発生した衝撃のマイク合戦“猪木問答”について取り上げる。
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今回は“猪木問答”と呼ばれる出来事について話そう。
それが起こったのは02年2月1日の新日本プロレス札幌大会。当時の新日本は、武藤敬司さんが小島聡選手、ケンドー・カシン選手、多くの社員とともに全日本プロレス入りするために退団した直後で、その数カ月後に長州力さんが退団したりと、みんな沈みゆく船から飛び出そうとしていて、いつつぶれてもおかしくない状態だった。要は、実質的なオーナーのアントニオ猪木さんが格闘技路線を進めることに、みんな嫌気が差して反猪木になっていたんだ。
新聞や週刊誌が「新日本はどうなるんだ?」とか書いている危機的状況なのに、新日本はファンに説明、謝罪をまったくしていない。自分は、それはおかしいだろうと思った。何も言わないまま札幌大会を始めていいのかと。長州さんも、当時の社長だった藤波辰爾さんも、誰も動かない。だから、自分は札幌大会の会場に来ていた猪木さんに、「もしかしたら自分の試合の後、猪木さんにリングに上がってもらうかも知れないので、そのときはよろしくお願いします」と伝えたんだ。
やっぱりリング上でやらないと意味がない。新日本のリングの中ではプロレスをやっていく。K-1や格闘技に傾いていた猪木さんの口から、とにかくプロレスという言葉を出させたかった。ということで、猪木さんをリング上に呼び込んで、「ここのリングでオレはプロレスをやりたいんですよ」と訴えた。だけど、いつの間にか猪木さんは「お前が仕切れ」と自分を責任者に指名したりして、訳が分からない話になってしまった。
猪木さんと1対1で話をつけようと思っていたのが、若い選手が出てこいという流れになり、リングに上がってきたのが永田裕志選手、中西学選手、鈴木健三(現KENSO)選手、棚橋弘至選手だった。彼らも困惑したと思うよ。
(猪木は4人に「怒っているか」と問いかける。まず中西が「怒ってますよ。全日に行った武藤です」と答えると、「オメエはそれでいいや」と軽くあしらった。続いて、永田が「すべてに対して怒っています」と答えると、「すべてってどれだい。オレか、幹部か、長州か」と再度質問。永田が「上にいるすべてです」と答えると、「ヤツらに気づかせろ」と突き放した)
その時、自分は責任者になることを把握できていなくて、猪木さんと4人のやりとりを「好きなこと言ってるな」と思いながら聞いていた。プロとしてアピールする場なんだから、「武藤、ぶっつぶしてやる」とか、「新日本はオレが守っていく」とか、そういう言葉を期待していたけど、健三選手が「自分の明るい未来が見えません」なんて言うから、吹き出しちゃったよ。
(健三を「見つけろ、テメエで」と斬り捨て、棚橋の「オレは新日本のリングでプロレスをやります」という叫びを、「まあ、それぞれの思いがあるから…」と受け流した猪木の対応に、客席は爆笑に包まれた)
その後、自分は責任者になったけども、何の通告もなかった。武藤さんと一緒に中枢にいた社員が引き継ぎもすることなく出て行ってしまい、会社が混乱していたからだ。データを隠ぺいした、持っていったとかの疑いが出たりして、2カ月ぐらいはてんやわんや。武藤さんらの動きはそれぐらい大きな事件だったんだ。(プロレスラー)