辰吉丈一郎「言葉にはできませんね」謎に包まれた32年前のボクシング人生初黒星
WBC世界バンタム級王座を3度獲得した“浪速のジョー”こと辰吉丈一郎(49)が14日放送のTBS「消えた天才」に出演。32年前のボクシング人生初の黒星について重い口を開いた。
その敗戦とは87年11月のソウル五輪代表選考会となる全日本アマチュア選手権。辰吉は初戦で木下一哉(当時法大)に判定負けした。
番組は現在51歳となった木下氏をまず直撃。メーカーの営業マンとして都内で働く木下氏は、日本代表候補にもなったが、「ボクシングは大学で終わり。プロで通用するとも思っていなかった」とプロ入りしなかった。辰吉戦については「たまたま。偶然」と言い切る。そして「勝つには勝ったが後味がスッキリしない」と自身が保有するVHSで実際の試合を観賞した。ほぼ全ラウンド棒立ちの辰吉に対し「調整ミスするような選手じゃない。何があったのか知りたい」と疑問を投げかけた。
続いて49歳となった現在も、現役を続ける辰吉の元へ。兵庫県明石市のジムで連日練習を続けている辰吉は「世界チャンピオンになって引退すること。口で言うのは簡単。言った以上、ちゃんとせなあかん」と世界王者復帰を目指している。
岡山県倉敷市児島で父・粂二さんに男手一つで育てられた辰吉。「何でもいいから一番になれ」という父の教えを心に、中学卒業後に世界王者を目指して単身大阪に出た。
17歳までプロボクサーにはなれないため、アマチュアの大会に出たが、圧倒的な強さでRSC勝ちを連発。一躍、ソウル五輪の有力候補に数えられるようになった。
そこで迎えたのが木下氏との一戦だった。「ものすごく僕の中では大きいこと。歯がゆい、悔しい、そんな思いはどうでもいい。ちょっと言葉にはできませんね」と振り返る。
当時の辰吉は迷いを抱えていた。「父ちゃんは僕が世界チャンピオンになる姿を見たかった。父ちゃんは体が弱く病気がち。余命があまりないことは分かっていた。僕がプロの世界チャンピオンになるのを信じて父ちゃんが待っていてくれる」。五輪代表に選ばれた場合、プロ入りは数年遅れる。そこに辰吉の迷いはあった。練習に集中できず、試合当日は38度の発熱とコンディションもばらばらだった。そして敗戦、プロ転向の流れとなる。
4年後の91年9月19日、守口市民体育館。辰吉はWBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソン(米国)を10回終了TKOで撃破。当時日本最短のデビュー8戦目で世界王者となった。リング上の勝利者インタビューでは「お父さん、岡山で見ていますよ」と伝えられ、「やったで!」と親指を突き立てた。
そしてアマチュアの黒星について32年が経過してこう語る。「この敗戦があったから今の自分につながっている。今となっては黒星もいいと思いますよ。そう捉えましょう」と穏やかな表情を浮かべた。
辰吉が粂二さんの教えを守り続けたのと同じように、現在は次男・寿以輝(22)がプロボクサーとなり、11連勝中。26日にはエディオンアリーナ大阪でメインイベントのリングに立つ。