ジャンボ鶴田とは何者だったのか…没後20年、決定版評伝の著者に聞く(前)
最強のプロレスラーを語る時に必ずその名が挙がる怪物・ジャンボ鶴田が2000年5月13日に急逝してから20年がたった5月13日、600ページ近い評伝「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」(ワニブックス)が刊行された。筆者は週刊ゴングの全日本プロレス担当記者として現役時代の鶴田を取材してきた小佐野景浩氏(58)。3年の歳月を費やした大著と、鶴田への思いを小佐野氏が語るインタビュー、その前編をお届けする。
◇ ◇
まずは鶴田の足跡を振り返ってみる。
鶴田は1972年、同年に開催されたミュンヘン五輪のレスリング代表という肩書を引っ提げて全日本に入団した。翌73年のデビュー時からトップ選手と遜色ない、スケールが大きくテクニカルなファイトを披露。明るいキャラクター、ギターを手にコンサートを開くといった新しいライフスタイルも相まって、新時代のスター誕生を感じさせた。
その後はジャイアント馬場に次ぐ不動のナンバー2として83年にインターナショナルヘビー級王座、84年にAWA世界同級王座を獲得するなど活躍したが、最高峰のNWA世界同級王座への挑戦では結果を出せず。善戦マンというありがたくないあだ名を頂戴する。85年に開戦した長州力率いるジャパンプロレス勢との抗争では長州とその矢面に立った天龍源一郎の存在感が際立ち、ファンに物足りなさを感じさせてしまう。
87年の長州離脱後は反旗を翻した天龍と、90年の天龍退団後は三沢光晴率いる超世代軍と抗争し、怪物的な強さ、うまさ、スケールの大きさ、無尽蔵のスタミナが大きくクローアップされた。ついに評価を確立したさなかの92年、肝炎が悪化し一線を退くことを余儀なくされた。
小佐野氏が番記者だったのは週刊ゴングと週刊プロレス、週刊ファイトがしのぎを削った活字プロレス全盛期。「リング上で事実上トップだった」鶴田だが、「少なくとも本を読むファンには、あまり支持されていなかった」と振り返る。
新日本プロレスから長州らが殴り込み、長州らのUターン後は天龍革命が起こった熱い時代。「刺激的でない言動、余裕たっぷりのファイト」の鶴田より、感情むき出しでやり合い、発言も刺激的な長州や天龍がファンに支持され、誌面を割くことになってしまう。小佐野氏は鶴田の「すごさ、強さが伝えきれなかった」という思いを抱えていた。
それ以前も、全日本の主役は総帥の馬場、次いでザ・ファンクス、ハーリー・レイスら豪華外国人で、鶴田は「有り余るモノをもっているのに、ガツガツと主役になる野心も見せなかった」という。
3年前、ワニブックスから鶴田本のオファーを受け、「今ならファンの見方も違っているし、ジャンボ鶴田を解き明かすことができる」と取材、執筆に取りかかる。
いまだに日本人レスラー最強説があり、「すごかった、強かった、無尽蔵のスタミナ、天才…」と振り返られる鶴田を「どうやって表現できるのか、その強さの源はどこにあるのかというところから解き明かさないと」という、小佐野氏の旅が始まった。(後編に続く)
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