ストロング小林さん死去 日本人初マスクマン「覆面太郎」 プロレス界、芸能界で人気

 ストロング小林さん=79年
 AWAヘビー級選手権に闘志を燃やす(右)。左は王者のバーン・ガニア=70年
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 伝説のプロレス団体・国際プロレスの元エースで、アントニオ猪木(78)との歴史的名勝負「昭和の巌流島」で知られる元プロレスラー、ストロング小林(すとろんぐ・こばやし、本名小林省三)さんが昨年12月31日に死去していたことが6日、分かった。81歳。東京都青梅市出身。現役引退後はストロング金剛の芸名で、タレントとしても活躍した。

 「怒濤(どとう)の怪力」と称されたパワーファイトで一世を風びし、芸能界でも異色の存在感を放った小林さんが、人生のリングを降りた。

 ボディービル出身で、1967年に日本人初のマスクマン「覆面太郎」としてデビュー。素顔に戻ると69年に欧州で豊登と組んでIWA世界タッグ王座、71年にはIWA世界ヘビー級王座を獲得し、72年にはIWAワールド・シリーズに優勝するなど国際のエースに君臨した。カナディアン・バックブリーカーなどが得意技だった。

 74年2月に突如フリー宣言し、同年3月19日に新日本プロレスのリングで猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦。猪木を怪力で苦しめ、ジャーマン・スープレックス・ホールドに敗れたものの、力道山-木村政彦戦以来の大物日本人対決は、プロレス史上に残る名勝負となった。

 再戦、再々戦でも敗れた小林さんは75年、新日本に入団。76年に坂口征二と組んで新日本の看板タッグ王座である北米タッグ王座、さらにはアジア・タッグ王座に、80年には永源遙と組んで古巣・国際のIWA世界タッグ王座に君臨した。

 また、米メジャー団体であるWWWF(現WWE)を長期サーキットするなど、海外でも実績を残した。

 84年5月に現役を引退し、特異な個性を生かして角川映画「伊賀忍法帖」やTBS系バラエティー番組「風雲!たけし城」など、芸能界で活躍した。

 なお、猪木の延髄斬りで初めて敗れた選手が小林さん。また、後年、民放のニュース番組で、事件の目撃者としてインタビューを受けたこともある。

 ◆ストロング小林(すとろんぐ・こばやし、本名小林省三=こばやし・しょうぞう)1940年12月25日、東京都青梅市出身。都立農林高時代は硬式野球部。高校卒業後は国鉄(現JR)に勤め、ボディービルで体を鍛えた。1967年に国際プロレス入門。エースに成長し団体の看板、IWA世界ヘビー級タイトルを22回連続で防衛したが、74年2月に離脱。同3月に東京・蔵前国技館でのNWF世界ヘビー級タイトル戦で新日本プロレスのアントニオ猪木に挑戦し敗れた。翌75年に新日本入り。81年に腰を痛めて長期欠場し、84年8月に引退した。その後は芸能界で「ストロング金剛」の名で活躍し「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」の怪人役などで人気を博した。

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