カリスマ辰吉丈一郎の見たモンスター尚弥 今の時代にスーパースターとしておらないかん存在
ボクシングのバンタム級世界3団体統一戦で、WBA・IBF同級統一王者の井上尚弥(29)=大橋=が、WBC同級王者ノニト・ドネア(39)=フィリピン=に2回TKO勝利し、日本選手初の3団体王座統一に成功した。井上尚が新たに手にしたWBCバンタム級は、辰吉丈一郎(52)が眼疾などを乗り越えて3度就いた王座でもある。伝統の“緑のベルト”を受け継いだ令和の怪物を、昭和、平成を駆け抜け、今も現役を名乗るレジェンドはどう見たのか。
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浪速のジョーが見た「井上尚弥」。このテーマに辰吉は当初、かなり口が重かった。
「尚弥君からすると、辰吉さん、何言うてるの?あなたはオレじゃないって。あくまでオレの臆測やからね」
時代を背負って称賛も批判も浴びてきた。自身は人を論じることをよしとしない。ただ、だからこそ、辰吉にしか見えない井上尚弥像がある。
「走ってるなあ。懸垂とかもしっかりしてるんちゃうかな。見たらわかるわ。背筋や首がしっかりしてる。でも、ドネアもすごい研究してきてたはず。積極的に仕掛けていって、戦い方を変えたかなと思った。ただ尚弥君も読んでいたと思う。ボクシングセンスはもちろんやけど、勝ち方を知っているんやな」
モンスターの力量は、強打、スピード、フットワーク、頭脳といった要素で測れない。
「今のこの時代に、スーパースターとしておらないかん存在なんやろうな。持って生まれたもんを持ってる」
自身は眼疾からの復帰、王座返り咲きと波瀾(はらん)万丈の競技人生に加え、言動でも唯一無二の存在として1990年代のリングを熱狂させた。
「昭和の人間ってガツガツしてるねん。自分が自分がってね。そういう意味で尚弥君はそうじゃない。今の時代はその方がいいのかも。試合内容はアグレッシブで、普段からものすごく反復練習していることはわかる。それを積極的に見せないのも今どきなんかな」
対照的にも見える2人のカリスマ。しかし、辰吉は強く共鳴するものも感じている。
「すごい努力をしてる人間って、自分が努力してるって気づいとらんのよ。当たり前のことしてるだけって認識してる。彼は今スーパースターやん。でも、そんなにピンと来てないと思う。それでウォーってなるのは素人。尚弥君は自分がチャンピオンになる、自分がこういう人間になると、はなから知っとった。知っとるから用意ができとった。みんなチャンピオンになりたいチャンピオンになりたいと言うけど“なりたい”じゃなられへん。自分も同じ経験をしとるけど、“なる”からやってるんよ」
天命か、才能への使命感か。それとも覚悟という意味か。
「いや、当たり前なんや。自分という人間は、こういう人間になるとわかっているから、それなりの立ち居振る舞いをできる」
自身も17歳でプロになり、「世界王者になる」と公言し続けた。
「オレはうぬぼれとった。本気でうぬぼれとったから。でも、うぬぼれてないやつがやっても成功せんやん。謙虚な人間は、何にもならん。尚弥君も自分がこういう人間になるといううぬぼれ、言い方は悪いけど当然という気持ちを持ってないとああなれんと思うよ。自分のことが好きじゃないとあかんし、お前は変態やなっていうくらいじゃないと。いろんな人間がおる中で一つポンと飛び出た存在に、まともなやつはならん。尚弥君もまともそうに見えるけど化け物みたいなことをしてきている。その裏には化け物のような努力がある。でも、それが彼には当たり前なんよ」
5階級制覇王者のドネアが一度はフェザー級まで上げた階級をバンタム級に下げたのは、井上尚との対戦を視野に入れたものだった。
「尚弥君の人間性を認めているんやと思う。どれだけ強くても、どうしてもこの選手とやりたいと思わないと、そこまでする値打ちを感じないと思うよ」
2人は2年7カ月ぶりの再戦。辰吉もラバナレス、サラゴサ、ウィラポンと世界戦での再戦を経験し、宿敵と特別な関係を築いた。
「お互いを知ってて、だまし合い、隠し合いでやってる。だってボクサーは拳のみ、相手に打撃を与えていいのは。あとは何してもあかん。しかもヘソから上、耳から前しか殴ったらあかんのよ。めっちゃ残酷な商売。制限された中で、フェイント、角度、パワー、スピード、いろんなもん言い出したらキリがない。それを短い距離で向かい合って『対話』をせないかん。そら(2人の間には)いろんなことがあるで」
ボクシングは「対話」なのか。
「試合中はこの(リーチ)距離で向き合って、相手の目を見て対戦してる。目でわかる。仕掛けてくる、下がる。『対話』してる」
一方で、当然やるかやられるか。
「昭和の人間の感覚は、言い方は悪いし極端やけど(相手を)ぶち殺してやると思うてるわけやん。でも、ボクシングって不思議なんよ。殺し合いのようなことを、別に憎くてやっとるわけじゃない。散々やり合って、終わったら抱きおうてる。お互いの言葉で伝わってないねんけど、目を見て『ありがとう』と言うてる」
ドネアは敗戦後、リング上で井上尚に日本語で「アリガトウ」と声をかけた。2人の間に通じる思いは。
「戦友なんかな。殴り合った相手にありがとうと思うのは不思議なこと。そんなアホなって思うけど、自分も同じようなことしてきた。こんなこと、ボクシングしかないやん」(続く)
◆WBC世界バンタム級王者の系譜 1965年、ファイティング原田が「黄金のバンタム」と呼ばれた王者エデル・ジョフレ(ブラジル)を撃破。翌年の再戦でも返り討ちにし国民が熱狂した。
WBA、WBC分裂後、WBC同級は90年代、辰吉の出現により人気が過熱。94年12月4日、薬師寺保栄との死闘は日本中を興奮させ語り継がれる伝説となった(判定で薬師寺が王座統一)。その後、辰吉、西岡利晃の天敵だったタイの名王者ウィラポンを長谷川穂積が破り「日本のエース」として10度の防衛。後継の山中慎介は「神の左」を武器に12度防衛。そして栄光の「緑のベルト」は尚弥へと渡った。
◆尚弥-ドネア再戦VTR 1回終了間際、尚弥はドネアの左に反応。右クロスカウンターをこめかみにたたき込みダウンを奪う。2回は一気に攻勢。左フックでぐらつかせ最後はトドメの左フック。2度目のダウンで試合を決めた。19年11月、1度目の対戦では左フックを浴び右目上をカットし苦戦の末の判定勝利だったが、2年7カ月ぶり再戦で元世界5階級王者をわずか264秒で粉砕。日本史上初の3団体統一王者となり、史上8人目の4団体完全制覇に王手をかけた。
◆PFP1位 同戦は世界に衝撃を与え、階級差がないと仮定した場合のランクを決めるパウンド・フォー・パウンド(PFP)で日本人初の1位に認定。タイソン、パッキャオら大スターに肩を並べる偉業となった。