“過激な仕掛け人”新間寿氏 猪木さん悼む「私にとって太陽、神とも思っている」
元プロレスラー、元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日午前7時ごろ、都内の自宅で死去した。79歳。元新日本プロレス専務取締役兼営業本部長で現在はストロングスタイルプロレスの会長を務める新間寿氏がデイリースポーツの電話取材に応じ、猪木さんを悼んだ。
猪木さんと二人三脚で、1976年のプロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦など多くの名勝負をプロデュースして“過激な仕掛け人”と呼ばれた新間氏。猪木さん、豊登とともに66年の東京プロレス設立に関わっており、まずは「デイリースポーツさんには、東京プロレス旗揚げの時に私も猪木も豊登さんも、本当にお世話になった。東京プロレスの始まりは(後援した)デイリースポーツとともにあった。ボクらのことを取り上げてくれて本当にありがたかった」と、日本プロレスが絶対的な地位を築いていた厳しい状況下で旗揚げした当時の記憶を振り返った。
そして、「アントニオ猪木さんは太陽であり、夜になれば、南に行ったときは南十字星であり、北に行ったときは北極星だった。本当に忘れることはできない」と、その存在の大きさを力説。猪木さん最大のライバルであるジャイアント馬場を日本最高峰の富士山とするならば、アントニオ猪木は北岳や槍ケ岳で富士山にはなれないと考え、「それじゃあ、世界のエベレストにしようと思って私が作り上げたのが異種格闘技戦」と語った。
ただ、プロレスを離れた「猪木寛至さん」とは「縁が切れている」といい、13年7月に猪木さんが参院選で2度目の当選を果たした後に議員会館で会ったのが最後だという。それでも、「アントニオ猪木さんは私にとっては神とも思っている。私の人生」と強い思いを語った。