藤波辰爾出場大会で猪木さん追悼の10カウントゴング「炎のファイター」も流れる
「プロレス・ヒートアップ」(1日、とどろきアリーナ)
第3試合の6人タッグに出場予定の藤波辰爾(68)が、大会開始前にリングに上がり、この日午前に79歳で死去した師匠のアントニオ猪木さんを追悼した。突然の訃報とあって遺影は準備できなかったものの、10カウントゴングが鳴らされ、来場者全員が黙祷。セレモニーの最後には猪木さんの入場曲である「炎のファイター」が流れ、故人をしのんだ。
藤波はアントニオ猪木に憧れ、1970年に日本プロレスに入門。猪木の付け人となった。同団体を離れ、72年の新日本プロレス旗揚げ時にも行動を共にし、師弟関係を続けた。88年には試合後の控え室で猪木に世代交代を直訴し、藤波が自分で髪の毛を切って覚悟を示すという、いわゆる“飛龍革命”も語り草となっている。
苦楽をともにしてきた藤波はこの日午前、デイリースポーツの取材に対し、師と仰ぐ猪木さんの訃報について激しく動揺。「気が動転して、言葉が見当たらない…」と言葉を絞り出すと、呼吸を乱しながら「すみません…」と話すのが精いっぱいだった。
また、試合前に自身のツイッターを更新し、「16歳で出会い68歳になった今でもあなたは私のヒーローです。生まれ変わってもまた、あなたの側に。あなたの記憶を胸に今日もリングに上がってきます。心からの感謝と愛と哀悼の意を捧げます。本当にご苦労様でした。どうかどうか安らかにお休みください。ありがとうございました」と、恩師へのあふれる思いをつづっていた。