漢字の本に家庭教師、勉強重ね最後まで戦い続けた猪木さん

 元プロレスラーで参院議員も務めたアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日午前7時40分、心不全のため都内にある自宅で死去した。79歳。猪木さんのマネジメント会社が発表した。プロレス界だけにとどまらず、政界をはじめ多方面に影響を及ぼした猪木さん。往年の素顔を当時の担当記者が振り返った。

  ◇  ◇

 アントニオ猪木さんが旅立った。プロレスを担当したのは1982年3月からで、新日本の旗揚げ10周年イヤーでもあった。不惑秒読みの39歳の燃える闘魂は、まだまだ元気いっぱいだった。リングの枠内にはおさまらず、アントン・ハイセル事業(バイオ事業)から派生した内部クーデター、選手の離脱など何かと事件が多い人だった。こちらもプロレス記者から社会部記者に変身せざるを得ないこともあった。巡業先の会場に足を踏み入れると、リングで練習していた猪木さんから「来たか!トップ屋!」と、声をかけられたものだ。

 ジャイアント馬場さんとは世間話もできたが、猪木さんはロマンの人だった。チャレンジ魂で突進し、不可能と言う発想はなかったようだ。ゼロから新日本という新団体を旗揚げし、ミュンヘン五輪柔道金メダリストのウイリアム・ルスカと異種格闘技戦。ボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの世紀の戦いも実現させた。初の議員レスラーとして国会に進出すると“アリと戦った男”という勲章を引っ提げて闘魂外交を展開。ペレストロイカを推進していたソ連のアマチュア選手をスカウトして、プロレス初の東京ドーム大会を開催。イラク、北朝鮮でプロレス興行を開催して平等・平和を訴えた。イラクでは空爆直前に日本人の人質解放にも成功した。

 「小学校しかまともに出ていない」と、漢字の本を手に学習。かつては巡業先で家庭教師について勉学に励んだ。ここ一番の勝負強さには目を見張るものがあった。闘魂にも黄昏が訪れていたころ、きょうこそ引退かとささやかれた。だがブルーザー・ブロディ、藤波辰爾と60分フルタイムの熱闘を見せ、健在ぶりをアピール。盟友の坂口征二さんは「やっぱり猪木さん」と感嘆した。

 98年の東京ドームの引退舞台では、ドン・フライとラスト試合を行った。猪木さんの引退ツアーには日本&ブラジルのファミリーを乗せたバスが同行。一族を背負って戦ってきた猪木さんの生きざまを再認識させられたものだ。

 晩年は難病と戦ってきた弱り切った姿をさらけ出しても、笑顔を忘れなかった。天国のリングでも「1、2、3、ダーッ」の雄叫びが聞こえてきそうだ。(デイリースポーツOB・宮本久夫)

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