前田日明氏、猪木さんのプロ意識に感銘「サイン色紙を毎日500枚自分で書いてた」

 元プロレスラーの前田日明氏(63)が2日、都内でデイリースポーツの取材に応じた。師匠のアントニオ猪木さんが1日に死去した事を受け、「ぼうぜんとした。難病だったけど、何年後かに元気になって、また活動すると思っていた。今はご冥福を祈るばかり」と悼んだ。

 18歳だった1977年にプロレスを何も知らないまま新日本に入門した前田氏は、付き人にもついた猪木さんから全てを学んだという。「プロ中のプロで、起きて目を開けて、夜目をつむるまでアントニオ猪木をやっていた」。

 前田氏の若手時代、毎日のように地方巡業で遠征していたが、猪木さんのプロ意識に感銘を受けたという。「(宿舎の)部屋について荷物を置くと、(猪木さんは)いつもサイン色紙を5、600枚置いていて、真面目に自分で書いてましたからね」。付き人に代筆させることもほとんどなかったといい、「サイン書いてくれ、写真撮ってくれ(という要求)に、真面目にやっていた。自分たち周りが止めないといつまでもやっていた」と述懐した。

 前田氏自身は後に格闘技色の強いUWFやリングスなどを旗揚げしたが、「猪木さんに教えられた『プロレスとは何か』を真面目に取り組んで実現しただけ」と回想。「猪木さんがいなかったらUWFもK-1もPRIDEも、今の総合格闘技も何もなかった」と、改めてその功績をたたえた。

 昭和、平成、令和という激動の時代を全力疾走で駆け抜け、日本社会を盛り上げた猪木さんから学んだことについては「やってみなきゃわからない、ということですよね。やってみて初めてわかるということ」と前田氏。「太く生きたからと言って人生は短いとは限らない。みんな『太く生きたら短くなってしまうよ』と言って(自分に)ブレーキを掛けてるんですよ。(猪木さんは)そうじゃなくて『何でも挑戦しろよ』と。そういうことですよね」と、うなずいた。

 猪木さんと最後に会ったのは2020年10月に長野で行われた大会だったという。リング上では元気に振る舞っていたものの、出演が終わると車いすで帰っていったといい、「当時から体の状態は相当悪かったんでしょうね」。偉大なる恩人と過ごした日々を振り返り、「時には敵対していたこともあるが、猪木寛至という人間が生きた時代に生を受け、同時代に同じ空気を吸って、猪木さんとああでもないこうでもないとやり合えたことを誇りに思う」と感謝を込めた。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

ファイト最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(ファイト)

    写真

    話題の写真ランキング

    リアルタイムランキング

    注目トピックス