猪木さん告別式に船木誠勝も参列 感謝と謝罪「新日本を辞めて申し訳ございません」
心不全のため1日に79歳で死去した元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)の告別式が14日、都内でしめやかに営まれた。
参列したプロレスラーの船木誠勝は報道陣の取材に応じ、「最後に顔を見られて、さみしいですけど、ホッとした部分はあります」としみじみ。15歳で親元を離れて新日本プロレスに入団した船木は20歳の時に強い慰留を断ってUWFへ移籍しており、「猪木さんが亡くなってから、毎日猪木さんとの思い出を思い返していたんですけど、自分が新日本プロレスを辞めたところで記憶が途切れちゃうんですね」と話しながらも、「その5年間が人生の基本になっています。厳しかったですけど大切に育てられたのを、今ものすごく感じています」との心境を口にした。
猪木さんは自身にとって父親のような存在といい、「猪木さんとスパーリングを何回かするときがあったんですけど、広い背中で押さえ込まれて痛くて苦しいんですけど、逆に安心というか、包み込まれている暖かさ、安心、優しさを感じて、なんかうれしい、そんな記憶を思い起こしますね」と振り返った。
猪木さんのもとからは、船木だけでなく多くの有力レスラーが育っては離脱しており、「やっぱり、あれだけの人なので、周りから集まっては消え、集まっては消え、を繰り返して孤独だったんじゃないかなという感じがします」と心情をおもんぱかる。それでも、この日はゆかりのあるレスラーが多数参列。「ただ、今日これだけ新日本プロレス(出身)の選手が集まったので、今すごく喜んでいるんじゃないですか。これだけ集まることはこの先ないと思うので」と穏やかな表情で話した。
猪木さんにかける最後の言葉を問われると、「本当に感謝、ありがとういございましたしかないですね。あとは、20歳で新日本プロレスを辞めてしまったときの、申し訳ございませんでした。その二つですね」と返答。自身は16日にノアの福岡国際センター大会を控えており、「ゆっくり休んでください。自分はまだこれからも戦いますので、猪木さんの闘魂を少しでも受け継ごうと思っています。あさってもまた試合なので、そこに集中して、一刻も早くトレーニングしたいと思います」と決意を新たにした。