元世界王者・名城監督 名門・近大ボクシング部復活へ 一から教えた子たちと

 練習後、笑顔を見せる名城監督(中央)ら近大ボクシング部(撮影・吉澤敬太)
 サンドバッグを連打する部員を指導する近大・名城監督(左から3人目)と部員
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 アマチュアボクシングの強豪で、かつて全日本大学王座に10度就いた近大は、今年のリーグ戦を7年ぶりに2部で戦い、5大学中最下位に終わった。2019年4月に就任した元WBA世界スーパーフライ級王者の名城信男監督(41)は、部の不祥事の影響でスポーツ推薦枠が消滅して低迷する名門で、競技未経験者を一から指導する日々だ。2部リーグ降格をあえて志願し、0から目指す名門復活への思いを聞いた。

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 東大阪市にある近大ボクシング場。汗が染みついた独特の匂いが、伝統を感じさせる。しかし、かつて数十人がせめぎあって練習した道場に、この日は8人。大学から競技を始めた未経験者ばかりだ。ミットを持つ名城監督やプロで世界挑戦経験のあるOBの中島健コーチ(44)の動きに対応できる選手は少ない。

 昭和18年、1943年創部のボクシング部は、関西学生リーグ優勝37度、全日本王座を10度獲得。名城監督らプロの世界王者を輩出した名門は、今年のリーグ戦で7年ぶりに2部に降格した。名城監督の異例の申し出によるものだった。

 「現実は甘くない。1部のスポーツ推薦の選手と戦わせてケガをさせたらいけない。安全性を考慮した」。苦渋の決断は、同部がたどってきた近年の紆余(うよ)曲折の道に起因する。

 09年、部員2人が強盗などの事件を起こして一度は廃部。しかし、OBでプロで“浪速のロッキー”として活躍した赤井英和氏(63)が総監督に就任するなどして12年に復部し、3部から再スタートした。

 16年には1部復帰したが、17年に当時の監督が不祥事によって大学を諭旨解雇となり、18年からは有力選手を獲得してきたスポーツ推薦枠が認められなくなった。同年のリーグ優勝を最後に低迷期に入り、大学前の競技経験者がいなくなった状況で、安全性を第一に考えた末の2部降格の申し入れだった。

 キッズボクシングが主流の近年では、大学から始める選手とのキャリアの差が7、8年はある。7人で戦うリーグ戦。昨年でスポーツ推薦の選手が皆無になり、その力量の選手をそろえるのは難しい。今季2部で最下位に終わったのが現実だ。

 自身の経験に照らした決断だった。名城監督はプロ6戦目の05年、日本スーパーフライ級王座戦で戦った同級王者の田中聖二さんに、10回TKO勝ちして初戴冠。しかし、田中さんは試合後に急性硬膜下血腫で倒れて亡くなった。一時はグローブをつるすことも考えた過去がある。「いろんな人にこのスポーツをやってほしい。だけど、ボクシングがどれだけ危険かは自分が一番わかっている」と同監督は言う。

 一方で、目指す部の再興へ立ち止まってはいられない。大学にはスポーツ推薦枠の復活を希望しているが、現状は厳しい。そこで赤井総監督とともに足を運んだのは、隣接する近大付高。未経験者を大学4年間だけで育てるのは難しいため、付属高校にボクシング部の新設を要望した。

 しかし、顧問教諭の問題などこちらもハードルは高かった。ただ、とにかく「できることは何でもやる」と働きかける中で、小さなきっかけも見つかった。大阪市内のアマチュアジムで近大付の生徒が練習していると聞き、足を運んだ。「彼らは(高校で)ボクシング同好会をつくりたいと言ってくれている。そういう子が少しでも集まってくれて、動きとして広がれば」と期待を寄せている。

 また、同部が背負う不祥事による負のイメージも払しょくしたい。年末恒例だった清掃活動は、月1回の頻度で行うようになった。「そういう活動があって今があると部員にわかってほしい」。子どもたちへのボクシング教室など、社会貢献も視野に入れている。

 今春は監督自身がブースに立ち、新入生の勧誘活動を行った。部員のほとんどは部の黄金時代も、元チャンプ監督の存在も知らない。「部のSNSなどを見て体験入部には来てくれる。格闘技ブームもあって、かっこいいと興味は持ってくれる。ただ実際には、殴るイメージを持ってるだけで、殴られるイメージができていない子が多い」。今年は約20人の体験入部のうち、残ったのは2人だった。

 それでも、教え子たちは少しずつ結果を出し始めている。主将の大峯聖夜(4年)は昨年から2年連続でアマチュアの頂点を決める全日本選手権にクルーザー級で駒を進め、今年はフライ級の中村知樹(3年)と2人で国体にも初出場した。

 「(スポーツ推薦ではなく)一般(入学)で、関西で勝ち抜いて全国へ行く選手は僕らの時もいなかった。この状況で全日本に出てくれる選手がいることがありがたい。そういう選手を一から育てられたのは貴重な経験だった」

 取材当日も体験入部が一人。練習を終えて帰るその学生の背中に「また来いよ。待ってるからな」と声をかけた。国内最速タイの8戦目で世界の頂点に立ったかつての強打者は、「何でオレ、ここにおるんやろと思う時がある」と笑う。

 ただ、不遇の時代だからこそ、指導者として見えなかったものが見えてきた。「少人数でもボクシングが好きで残ってくれているやつばかり。何とか来年も人数はそろえたい。そして、一からボクシングを教えた子たちで復活できればかっこいいですね」。名門再興の道程に、いつしか新たな夢も加わった。(デイリースポーツ・船曳陽子)

 ◆名城 信男(なしろ・のぶお)1981年10月12日生まれ、奈良市出身。奈良工でボクシングを始め、近大へ進学。リーグ分裂騒動の最中にあった大学4年の03年にプロデビュー。06年7月に当時国内最速タイの8戦目でWBA世界スーパーフライ級王座を奪取。1度防衛後に陥落。08年9月に河野公平との同級王座決定戦を制してベルトを奪回。2度防衛し、10年5月に王座を陥落。その後の世界挑戦4連敗で14年4月に引退。同時に近大のコーチに就任。19年4月に監督に就任した。プロ戦績19勝(13KO)6敗1分け。

 ◆近畿大学ボクシング部 1943年創部。全日本大学王座に10度、関西学生リーグで36連覇(優勝37度)の強豪。09年に部員2人が強盗致傷事件を起こして廃部となったが、12年10月に活動再開。OBでタレントの赤井英和が総監督。主なOBには名城監督のほか、68年メキシコ五輪バンタム級銅メダルの森岡栄治、元WBA世界スーパーウエルター級暫定王者の石田順裕など。

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