武藤敬司がプロレス人生に終止符!「39年間、最高に幸せでした!」内藤哲也が「デスティーノ」で介錯の3カウント 月面水爆飛べず

 内藤哲也(右)に閃光魔術を決める武藤敬司
 内藤哲也にSTFを決める武藤敬司(撮影・棚橋慶太)
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 「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING “LAST” LOVE ~HOLD OUT~」(21日、東京ドーム)

 ノアの武藤敬司(60)が新日本・内藤哲也(40)との引退試合に臨み、最後は内藤の必殺技「デスティーノ」で3カウントを奪われ、敗れた。1984年のデビューから常にプロレス界のトップで活躍してきた“天才”が39年間のキャリアに終止符を打った。

 試合後は「39年間のプロレス人生、最高に幸せでした!」と語った。

 ゴングから老かいなグラウンド戦を繰り広げると、序盤から頬を切って流血する場面もあったが、盟友・蝶野のSTFなどで内藤を苦しめた。その後は内藤ペースで試合が進み、場外で痛めつけられたが、ドラゴンスクリュー2連発、四の字固めと、代名詞の技で反撃。闘魂三銃士の盟友、故橋本真也に捧げるように袈裟切りチョップから、天に向けてLOVEポーズしDDTを決めると、ノアの故三沢光晴のエメラルドフロウジョンで畳みかけると、シャイニングウィザード一閃。さらに、封印してきた禁断のムーンサルトプレスを放とうとしたが、断念。コーナーポストを叩いて悔やんだ。

 その後、四の字固めでギブアップを狙いにいき、内藤も苦悶の表情を浮かべたが、ロープに逃れられた。シャイニングウィザードでフィニッシュを狙ったが、決まらず、再びムーンサルトプレスに向かったが飛べず。内藤のシャイニングウィザードを被弾。さらに四の字固めで痛めつけられた。最後はシャイニングウィザード連発から、デスティーノで決着した。試合後、拳を合わせ、握手を交わした両者。内藤の瞳には涙が滲んでいた。

 満身創痍の体に鞭を打ち、最後のリングに上がった。1月22日、グレート・ムタとしてのラストマッチで両足ハムストリングスを肉離れし、全治6週間と診断された。まだ4週間しか経たない中で迎えた集大成の舞台。それでも「レスラーはヒーロー、スーパーマンじゃなきゃいけない。俺は大丈夫」と、言い聞かせ、内藤と向き合った。

 リングを去ることは本意ではない。長年悩まされてきた両膝の痛み。18年3月に人工関節手術を受けたものの、その影響で左股関節に痛みが広がった。「いずれ股関節も人工関節にしないといけない。遅かれ早かれ、もうプロレスはできない。本当はプロレスやりたいよ。続けていきたい。でもドクターストップというか、断腸の思い」-。

 そんな中で駆け抜けてきた引退のカウントダウン。最後は自らを最高に輝かせてくれる相手として指名した古巣新日本の内藤を相手に、すべてのプロレス愛を昇華させ、“天才”は舞台を降りた。

 ◇武藤敬司(むとう・けいじ)1962年12月23日、山梨県富士吉田市出身。柔道で全日本強化指定選手にも選ばれるなどし、84年10月に新日本プロレスでデビュー。88年からの米国遠征ではグレート・ムタとなって絶大な人気を博した。90年に帰国後は蝶野正洋、橋本真也と闘魂三銃士と呼ばれてトップスターとして活躍。02年には全日本プロレスへ移籍し、社長に就任した。13年にはWRESTLE-1を設立したが、20年4月に活動休止となると、フリーでノアに参戦し、21年2月に正式入団。同年11月にGHCタッグ王座を獲得し、高山善廣に続く史上2人目のIWGPヘビー級と同タッグ、全日本三冠ヘビー級と世界タッグ、GHCヘビー級と合わせてメジャー3大シングル王座とタッグ王座の完全制覇を果たした。身長188センチ、体重110キロ。

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