【蝶野正洋の独占手記】盟友・武藤、橋本さんへ「闘魂三銃士として見られて良かった」
「KEIJI MUTO GRAND FINAL PRO-WRESTLING “LAST” LOVE ~HOLD OUT~」(21日、東京ドーム)
38年4カ月の現役生活にピリオドを打った武藤敬司(60)。1984年に新日本プロレスに同期生として入門した蝶野正洋(59)が、デイリースポーツに独占手記を寄せた。新弟子当時の思い出から、橋本真也さん(故人)とともに「闘魂三銃士」と呼ばれ、しのぎを削った若手時代の回想。さらに現役引退を本人から告げられ、引退試合の相手をお願いされた時のことなど、固い絆で結ばれてきた盟友へ熱い思いを存分に語ってもらった。
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全く心配していたような体調じゃなく、引退するの?っていうぐらい元気だったのでビックリした。ベストの状況に持ってきた。そこはプロだね。燃え尽きると言っていたけど、全く燃え尽きていない、まだ火がついたままでリングを下りた。最後に指名されたのは、最低だよ(笑)。
引退試合で2回やって2回負けるという記録を残していったんだな。リングでは「すごかったよ。頑張ったね」と声をかけた。たくさんのお客さんを感動させて、本当のエンターテイナーだった。痛い思いをしながら10年以上。お疲れさん、ありがとう、という二言だね。
引退を告げられたのは、俺が休業をしてから21年12月に腰の手術をして退院したあとだった。仕事で一緒になった時に「俺と一緒に引退試合やろうぜ」と言われた。うれしかった。けど、ショックでもあった。「一緒にやろう」と聞いた時、ちゃかしているのかとも思ったけど、励ましの言葉だとも思った。こんなこと言うのか武藤敬司が、と。
俺の中では結構、響いていた。でも、リングの上で立っている自分が想像できなかった。それでも、心から(試合を)やりたかったというのは思っている以上にあったんだよ。
レスラーはマッチメークを考える時、誰とやるのが面白いかとか、誰とやれば金になるとかを考えるもん。そこに俺の名前が入っていたのはうれしかったね。2002年に全日本プロレスに移籍した時、何の連絡もなかったのにね。
実は6月か7月ぐらいの発表前に引退するって聞いてたけど、その時、俺はつえなしで1キロも歩くのは無理な状況だった。リングに上がれるんだったら一番いいストーリーだったけど、いかんせん自分の状態がねえ。今は武藤さんも本当に腰とか、鼠径(そけい)部とか、痛いと思うよ。腰の筋肉が治らないと思う。
武藤さん、橋本選手と同期の新弟子時代の頃のことはよく聞かれるけど、最初のころは仲間意識があったとか、助け合ったとかはなかった。新弟子というくくりの中で付き人として洗濯をして、雑用もするけど、みんな上の人しか見ていないから。同期たちをライバルとして意識するとかはないよね。
当時のトレーニングを振り返ると、基礎運動は武藤さんが一番弱かったんだよ。でもスパーリングはめっぽう強くて、俺はサッカーをやっていたから、持久力はあったし、それぞれの得意分野があったよね。
ただ、逃げようとしたのは武藤さん。2回か3回ぐらい音を上げて、みんなでシャワーを浴びている時「こんな練習にはついていけねえ。辞める!」って言って。先輩に「できないなら、出てけって」って言われて、出ていった武藤さんを山本小鉄さんが「もう少し頑張ってみろ」って。そういうやりとりは覚えてるよね。
でも、当時は椅子取りゲーム。みんな、辞めていくやつを待っていた。根性比べしかないんで。プロレスラーとしてデビューさせるか、クビになるのか。それしかない。早く辞めないと練習が過酷になっていくというね。でも、人間関係で足を引っ張る関係ではなかった。
武藤さんが最初に海外遠征に行って「なんで武藤が」とかなかったし、うれしかった。半年ぐらいでイメージチェンジして帰ってきたのも、俺はうれしかった。橋本選手も「武藤ちゃんが帰ってきた」って歓迎していた。
仲間意識は結構、時間がたってからだよね。武藤さん、橋本選手と闘魂三銃士となって、ひとつのくくりとして、見られたのは良かったなというのはある。誰かが大きなミスをしても、他の2人が前に進んでいたらで同一に見られる。
巡業での移動中のバスの中で、3人で将来の展望を話し合ったことはあったかな。「もし、何かあったら、三銃士がみんなまとまって新日本にいることもないよなって。誰かが海外に行ったり他団体に行ったら、ただ一人、誰かが残らないといけないよなとか話した覚えはある。そしたら俺たちはつながっていられる」と。そんな話をした覚えはある。足を引っ張り合うような関係ではなかったよね。
最後にノアに移った時、シーズンフル参戦は無理だと思ったけど、最後の居場所を探したというイメージだった。ただ、月2試合のペースだと思うけど、その状況を長く続けるのかなと思った。動けなくなるまでやるんだろうな、と。もっとやってほしかった部分もあるけど、でも60歳まで、現役をやれたっていうのは、そこはプロだと思いますよ。(プロレスラー)