テリー・ファンクさん、死す 79歳 兄ドリーとザ・ファンクスで絶大人気 ブッチャーのフォーク攻撃で血だらけ死闘

 日本で絶大な人気を誇ったテリー・ファンクさん=84年10月
 ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦したテリー・ファンクさん(左)と大仁田厚=1993年5月5日
 天龍源一郎(中央)の引退試合にスタン・ハンセン(右)とともに来場したテリー・ファンクさん=15年11月
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 「テキサス・ブロンコ」の愛称で知られ、兄ドリー・ファンク・ジュニアとのタッグ「ザ・ファンクス」などで活躍した人気プロレスラー、テリー・ファンクさんが亡くなったことが24日までに分かった。79歳だった。米団体WWEの公式X(旧ツイッター)が公表した。テリーさんは日米のリングで活躍し、特に70年代後半から80年代前半にかけて、反則攻撃に耐えて反撃するファイトスタイルで絶大な人気を博した。

 喜怒哀楽の感情ムキ出しのファイトで日本のファンを魅了したテリーさんが旅立った。WWEのXは、おなじみのテンガロン・ハットをかぶったテリーさんの画像を掲載。「WWE殿堂入り選手のテリー・ファンクさんが79歳で亡くなりました。WWEはファンクさんの家族、友人、ファンに哀悼の意を表します」と伝えた。

 テリーさんは父ドリー・ファンク・シニアの指導を受けて1965年にデビュー。75年にはジャック・ブリスコに勝って、当時の世界最高峰だったNWA世界ヘビー級王座を奪取。77年にハーリー・レイスに敗れるまで約1年3カ月にわたってタイトルを保持した。

 同年12月の世界オープンタッグ選手権で、ザ・シーク&アブドーラ・ザ・ブッチャー組のフォーク攻撃を受け、右腕が血だらけになりながら不屈の闘志で反撃。優勝に輝き、日本での人気はピークに達した。ファンクスの入場テーマ曲「スピニング・トーホールド」もお茶の間に浸透。会場には親衛隊が駆けつけるフィーバーぶりだった。

 膝の負傷を理由に83年に引退したが、その後カムバック。09年にWWE殿堂入りした。日本での最後の試合は14年12月、後楽園ホールでミル・マスカラス&船木誠勝と組み、藤原嘉明&NOSAWA論外&カズ・ハヤシ組と対戦した6人タッグマッチだった。

(写真説明)70年代から全日本マットに定着。G馬場(右)、J鶴田(中央)と対戦=75年3月(山内猛氏撮影)

(写真説明)兄ドリーとのタッグでインターナショナル・タッグ王座に3度輝く=77年8月

(写真説明)伝説のオープンタッグ最終戦。ブッチャーのフォークが右腕に突き立てられ流血。左はザ・シーク=77年12月

(写真説明)大仁田(右)とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦=93年5月5日

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