小林邦昭さん死去 初代タイガーマスクのライバル「虎ハンター」、維新軍結成メンバー
初代タイガーマスク(佐山聡)のライバルで、“虎ハンター”の異名でも知られる元プロレスラーの小林邦昭(こばやし・くにあき)さんが死去したことが10日、分かった。68歳。長野県出身。複数の関係者によれば、ここ数カ月、がんを患って闘病生活を送っていた。体調には波があったようだが、体重はかなり減っていたという。
小林さんは昨年10月30日、ストロングスタイルプロレスの新宿FACE大会で新日本プロレスの後輩・山崎一夫氏とトークショーを行った。タイガーのマスクをはいだことについて「チャンスをつかもうと必死だった」と振り返り、佐山に花束を贈るなど、元気な姿を見せていた。
1956年1月11日生まれ。72年に新日本に入門し、73年に栗栖正伸戦でデビューした。80年にメキシコ遠征に出発し、82年に帰国すると長州力らと維新軍を結成した。
若手時代、メキシコ時代を共にした盟友でもあるタイガーとの抗争では、マスクはぎなどのラフと、フィッシャーマンズスープレックスホールドなどのテクニックで追い詰め、「虎ハンター」と称された。視聴率が20パーセントを超えた80年代前半の新日本プロレスブームの一翼を担い、赤いパンタロンがトレードマークだった。
84年、長州らとジャパンプロレスに移籍して全日本プロレスに参戦し、NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座や世界ジュニアヘビー級王座を獲得。87年、長州らと新日本に復帰し、IWGPジュニアヘビー級王者となる。92年、空手の誠心会館と抗争したことがきっかけで越中詩郎らと反選手会同盟を結成し、平成維震軍へと発展した。
2000年、獣神サンダー・ライガー戦で引退。その後は新日本に勤務し、単発で試合に出場したり、イベントに出演したりしてプロレスの普及・発展に尽力していた。
新幹線の東京-新大阪間で、食堂車のメニューを全てたいらげた健啖(けんたん)家エピソードは有名。一方で、現役時代からたびたびがんを患っていたが、その都度克服していた。
新日本プロレスの後輩で、元プロレスラーの武藤敬司は「新日本プロレスに所属していた時の先輩、小林邦昭さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。最近訃報が相次いでいますが、俺はもう少し頑張って生きていこうと思います。」とXに投稿。
新日本入門時に小林さんが寮の管理人だった現WWEの中邑真輔もXで「当時、道場の管理人になられた小林さんには自分を含め同期全員が道場でのイロハ、チャンコの作り方、時に稽古も…たくさんの事を教えていただきました。ご冥福をお祈りいたします。合掌」としのんでいる。